維州
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/08 09:12 UTC 版)
維州(いしゅう)は、中国にかつて存在した州。唐代から北宋にかけて、現在の四川省理県一帯に設置された。
概要
618年(武徳元年)、唐が白苟羌を降すと、姜維故城に維州が置かれた。維州は定廉・金川の2県を管轄した。627年(貞観元年)、羌が叛くと、維州と2県は廃止された。628年(貞観2年)、生羌の首領の董屈占が維州を再び立てるよう請願すると、維州は再び設置され、州治を姜維城の東に移した。羈縻州として茂州に属した。665年(麟徳2年)、正式な州に進められた。まもなく叛いた。羌が降ると、また羈縻州となった。687年(垂拱3年)、また正式な州となった。742年(天宝元年)、維州は維川郡と改称された。758年(乾元元年)、維川郡は維州の称にもどされた。維州は剣南道に属し、薛城・小封の2県を管轄した[1]。763年(広徳元年)、維州は吐蕃に占領された[2]。831年(大和5年)、唐の西川節度使の李徳裕が吐蕃から維州を奪回した[3]。ほどなく維州は再び吐蕃に占領された。849年(大中3年)、唐の西川節度使の杜悰が吐蕃から維州を奪回した[4]。
1036年(景祐3年)、北宋により維州は威州と改称された[5]。
脚注
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