グユク
グユク
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グユク(Güyük、、 1206年3月19日 - 1248年4月20日)は、モンゴル帝国の第3代皇帝(在位1246年8月24日 - 1248年4月20日)。漢語資料の表記では貴由、古余克、谷由皇帝。『元史』(大宗紀、定宗紀)の表記では古与、貴由、貴裕[1]。ペルシア語資料での表記では كيك خان Kuyūk khān ないし گيوك خان Guyūk khān など。大元ウルスによって贈られた廟号は定宗、諡は簡平皇帝。
注釈
- ^ 『バナーカティー史』など14世紀以降に編纂されたペルシア語文献の一部には、オゴデイの息子のうち、グユク、コデン、クチュ、カラチャル、カシンの5名はドレゲネとの息子たちであった、とも伝えているものもある。
- ^ メルキト部族出身。「カイミシュ」とも呼ばれていたという。
- ^ チャバトという息子がおり、バラクの中央アジア遠征に随伴したが、カイドゥのもとへ身を寄せたと言う。
- ^ 『集史』「オゴデイ・カアン紀」では、彼の息子が10名挙がっている。
出典
- ^ 小澤重男訳『元朝秘史(下)』249頁
- ^ 北川、杉山『大モンゴルの時代』108,110頁
- ^ a b 杉山『モンゴル帝国の興亡(上)軍事拡大の時代』、92頁
- ^ a b c 村上「定宗(蒙古)」『アジア歴史事典』6巻、412頁
- ^ ドーソン『モンゴル帝国史』2巻、104-105,150頁
- ^ 小澤重男訳『元朝秘史(下)』224-226頁
- ^ ドーソン『モンゴル帝国史』2巻、365頁
- ^ a b ドーソン『モンゴル帝国史』2巻、214頁
- ^ ドーソン『モンゴル帝国史』2巻、159,366頁
- ^ ドーソン『モンゴル帝国史』2巻、218頁
- ^ ドーソン『モンゴル帝国史』2巻、221頁
- ^ ドーソン『モンゴル帝国史』2巻、224頁
- ^ ドーソン『モンゴル帝国史』2巻、228,230頁
- ^ ドーソン『モンゴル帝国史』2巻、228頁
- ^ 杉山『モンゴル帝国の興亡(上)軍事拡大の時代』、95頁
- ^ 杉山正明「モンゴル帝国の成立」『中国史 3 五代 - 元』収録(世界歴史大系, 山川出版社, 1997年)、422頁
- ^ C.M.ドーソン『モンゴル帝国史』4巻(佐口透訳注, 東洋文庫, 平凡社, 1973年6月)、99頁
- ^ ドーソン『モンゴル帝国史』2巻、230頁
- ^ a b c d ドーソン『モンゴル帝国史』2巻、257頁
- ^ 北川、杉山『大モンゴルの時代』118頁
- ^ 北川、杉山『大モンゴルの時代』119頁
- ^ ドーソン『モンゴル帝国史』2巻、267頁
- ^ 北川、杉山『大モンゴルの時代』120頁
- ^ ドーソン『モンゴル帝国史』2巻、274頁
- ^ ドーソン『モンゴル帝国史』2巻、221-222頁
- ^ a b c d 海老澤哲雄 『グユクの教皇あてラテン語訳返書について』 2004年 … ラテン語版返書とペルシャ語版返書の日本語訳
- ^ ドーソン『モンゴル帝国史』2巻、242頁
- ^ ドーソン『モンゴル帝国史』2巻、244頁
- ^ 北川、杉山『大モンゴルの時代』304-306頁
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