クチュ・ウルス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 04:08 UTC 版)
オゴデイの治世下において、オゴデイの諸子の内年長の3人の息子(グユク、コデン、クチュ)は遠征軍の司令官を務めていた。この内グユク、コデンについては独自のウルスを形成した記録が存在するが、クチュのウルスに関しては不明な点が多い。しかし、同じような立場のグユク、コデンに独自のウルスがありながらクチュにのみないのは不自然なこと、ウルスを有する者にのみなされる華北投下領の分発が行われていることなどから、やはりクチュも独自のウルスを形成していたと考えられている。 クチュ・ウルスの位置については、潞州にクチュの避暑楼(=夏営地)が建設されたという記録が存在すること、懐安県から現在の山西省を縦断するルートにクチュ専用の軍事駅伝道が整備されたことなどから、潞州を中心とする現在の山西省南部一帯に置かれていたと見られる。
※この「クチュ・ウルス」の解説は、「クチュ」の解説の一部です。
「クチュ・ウルス」を含む「クチュ」の記事については、「クチュ」の概要を参照ください。
- クチュ・ウルスのページへのリンク