クチャ陥落
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 07:29 UTC 版)
1864年6月3日から4日にかけての夜にクチャの回民が蜂起し、テュルク系住民も加わった。清の砦は数日で陥落し、千人の漢人兵と150人のモンゴル兵が死亡した。東トルキスタンの他の都市とは違い、町の外部ではなく内部に砦があったからである。回民とウイグル人の主導権争いの結果、蜂起には参加していなかったもののムスリムの共同体でスーフィーとして権威をもっていたラシッディーン・ホージャを指導者に選出した。彼は3年にわたって東西に勢力を拡大し、タリム盆地全体に支配権を確立しようと試みたが、その企図はヤクブ・ベクによって阻まれることになる。
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