14世紀以後とは? わかりやすく解説

14世紀以後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/18 03:39 UTC 版)

チンカイ・バルガスン」の記事における「14世紀以後」の解説

カイドゥ・ウルスの解体後も捕虜収容のためしばらくチンカイ城は機能していたが、敵対勢力消失ともなってその重要性次第低下していった。オルジェイトゥ・カアンの死後新たに即位したカイシャン武宗クルク・カアン)は嶺北等処行中書省の下にチンカイ青海)等処宣慰司都元帥府設け、これによりチンカイ城は行政省都カラコルムに次ぐ都市として正式に位置づけられた。しかし、「カイドゥの乱」終結着実にチンカイ城の軍事的政治的重要性低下させており、まず1310年至大3年)にはチンカイ城のイェケ・ジャルグチが廃止された。 クルク・カアンの後に即位したブヤント・カアン(仁宗アユルバルワダ)の治世にもマスウード(馬速忽)なる人物経理としてチンカイ屯田派遣されたことや、漢軍がチンカイ屯田駐屯したこと、チンカイ屯田に牛2000頭が支給されたことなどが記録されており、依然としてチンカイ城は機能していた。また、1319年延祐6年)には晋王ジノン)家の貧民チンカイ屯田移住したことが記録されており、この頃チンカイ城はモンゴリア総べる晋王家の勢力にあった考えられている。 ブヤント・カアンの死後、ゲゲーン・カアン(英宗シデバラ)の即位直後1319年/延祐6年)にはチンカイ屯田・五条屯田が再設置されたが、1323年至治3年)には遂にチンカイ宣慰司・チンカイ万戸府が廃止となり、チンカイ屯田総管府が残るのみとなった。これ以後、「称海屯田万戸達魯花赤」の帖陳なる人物フレグ・ウルスアブー・サイードの下に使者として派遣されたことなどを除いてチンカイ城・チンカイ屯田はほとんど史料上に現れなくなる。 しかし、これ以後チンカイ屯田が完全に放棄されわけではないようで、ウカート・カアン(順帝トゴン・テムル)の治世末期イルティシュ川河畔叛乱起こしたアルグ・テムル対す討伐軍はチンカイ城に駐屯し、そこで軍勢徴発している。また、明朝建国した朱元璋洪武帝)が1372年洪武5年)にモンゴリアに残残する北元遠征軍派遣した際、北元敗残兵チンカイ城に拠って明軍対峙したことが記録されており、少なくともこのころまではチンカイ城の軍事施設としての機能残存していたと考えられている。だが、この後チンカイ城が史料上にあらわれることは全くなくなり、21世紀発掘調査が行われるまでその位置はわからなくなってしまっていた。

※この「14世紀以後」の解説は、「チンカイ・バルガスン」の解説の一部です。
「14世紀以後」を含む「チンカイ・バルガスン」の記事については、「チンカイ・バルガスン」の概要を参照ください。


14世紀以後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 07:25 UTC 版)

オゴデイ・ウルス」の記事における「14世紀以後」の解説

大元ウルス降伏したオゴデイ家の諸ウルス小規模ながら存続認められ大元ウルス領内各地遊牧生活送った大元ウルス統治下でオゴデイ家諸王王号与えられたが、王号オゴデイの6子の系統ごとに全く異なる名称が与えられていた。これはモンケ時代方針受け継いでオゴデイ・ウルスを6子の系統ごとに存続させようしたためであると考えられている。 ただし、各オゴデイウルス規模以前比べて遙かに小規模であった例えば、グユク家のオルジェイ・エブゲンの「モンゴル蒙古)民」は280余りであったという。また、大元ウルス移住したオゴデイ諸王多く山西河西一帯居住しており、山西クチュ・ウルス河西のコデン・ウルスといった大元ウルス留まり続けた東方オゴデイ・ウルス」の遊牧地に収容されいたものと見られる。 ただし、オゴデイ末子メリクウルスのみは別格で、『元史』によるとイルティシュ河流域数十大軍勢を擁していたという。これはイルティシュ河流域がエミル・コボク地方などと違ってドゥア併合されなかったこと、イルティシュ河流域チンギス・カンによって分封されたオゴデイ・ウルスの「初封地であったことなどが理由と見られる1361年にはメリク家のアルグ・テムルがこの地で叛乱起こしており、14世紀後半至ってオゴデイ・ウルスイルティシュ河流域少なからぬ勢力残していたと見られる大元ウルス北遷後(北元)、1402年即位したオルク・テムル・ハーンはオゴデイ家出身の人物であったオルク・テムル本拠地はかつてオゴデイ・ウルス一部であった河西方面にあったとみられ、15世紀初頭まで河西ではオゴデイ・ウルス一部残存していたことが確認されるオルク・テムル息子アダイハーン即位したが、トゴン太師率いるドルベン・オイラト(四オイラト部族連合)に敗れ本領河西地方オイラト占領されてしまった。これ以後オゴデイ家人物史料上に現れることは少なくなり、オゴデイ・ウルスどのように変化していったかは不明となる。

※この「14世紀以後」の解説は、「オゴデイ・ウルス」の解説の一部です。
「14世紀以後」を含む「オゴデイ・ウルス」の記事については、「オゴデイ・ウルス」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「14世紀以後」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「14世紀以後」の関連用語

14世紀以後のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



14世紀以後のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのチンカイ・バルガスン (改訂履歴)、オゴデイ・ウルス (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS