遊牧生活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 07:14 UTC 版)
サラカツァニは伝統的に山中で夏の季節を過ごし、冬には下の平野に戻る。移住は4月の聖ゲオルギオスの日の前夜から始まり、平野に戻るのは10月26日の聖デメトリオス(英語版)の日に始まる。理屈ではサラカツァニは常に遊牧民であったわけではないが、オスマン帝国の統治から逃れるため、厳しい遊牧生活に移っていった。サラカツァニは、ギリシャの内陸のいくつかの山岳地帯にみられる。ギリシャ北部のいくつかの集団は、20世紀半ばまでは、国境を接しているアルバニア、ブルガリア、かつてのユーゴスラビアといった隣の国の山々にも、夏の間に移牧することができた。1947年以降、冷戦が始まり国境が封鎖されたため、一部のサラカツァニは他の国に閉じ込められ、ギリシャに戻れなくなった。 伝統的なサラカツァニの集落は、夏と冬の間の放牧地上またはその近くに位置していた。最も典型的な住宅は、枝の枠組みと茅葺き屋根で覆われたドーム型の小屋で、次いで、木の梁、茅葺きの矩形の構造であった。 両方の形式共、住居の中心部は石の床、床と壁は泥とロバの糞で塗り固められていた。1930年代後半以降は、国家からの国民としての登録の必要上、サラカツァニのほとんどが夏の放牧地を法律上の住居とし、その多くはそこに恒久的な家を建てることとなった。 彼らの伝統的な集落は、一般には親族や婚姻関係で結ばれた、互いに協力しあう家で構成されている。牧草地に近い平らな土地に集落を建て、近くに補助的な建物を建てる。この形式は、「スタニ」(ギリシア語: στάνη,英語: stani)と呼ばれ、借地を共有する協同組合を指す用語でもある。参加している家族の長は、各シーズンの終わりに、土地の賃借の元契約者である「スタニのリーダ」(tselingas)に費用を支払う。 個人の財産は、一般的には家族の男性が継承する。家財道具等は娘たちに渡されることもあるが、息子たちによって親が所有する羊の群れと財産を分担して継承する。 彼らは年中、羊の群れの対応をしている。男性や少年達は通常、剪定や搾乳のような群れの保護と全般的な注意に責任を持ち、女性達は住居や羊と山羊の小屋を建て、育児、および他の家事(羊毛の調製、紡績、染色を含む)に従事し、鶏の世話で得られる卵は唯一の個人的な所得源である。また女性は家庭の野菜園を営み、自生のハーブでも食事を補っている。少年たちが羊の世話の手伝いができる年頃になると、彼らは父親に同行し、これから必要となる技術を教えこまれる。同様に女の子たちも母親の姿を見て、助けてもらいながら学んでいく。
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