入植政策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 04:24 UTC 版)
李德洙(Li Dezhu)国家民族事務委員会主任は西部大開発によって「人材もそれに伴って西に流入する」と発言しているが、1980年代の改革開放政策により、中国からの移民労働者がチベットに大量に入植した。2000年の人口統計では、チベット高原の人口約1,000万人のうち、軍人と出稼ぎ労働者を除いた540万人がチベット人で、残りは漢民族である。2002年、中国当局は「ラサのチベット人は近く少数派となるであろう」と語り、中国からの移民増加は経済開発を遂行するためと述べている。 また1998年には斉景発(Qi Jingfa)中国農業部副部長が「全ての遊牧民が今世紀末までに遊牧生活を終えること」を命じた。これまでチベットでは約225万人がチベット固有の遊牧生活を送ってきていたが、中国はこれを「野蛮」と禁止した。実際に遊牧生活を完全に禁止することは実現できていないが、西部大開発以来、バラック建てのコンクリートの「キャンプ」へ遊牧民を強制移住させる計画が実行され、2011年1月には、143万人の農民と牧民がキャンプに移住したと中国政府は発表している。移住にともない得た土地によって中国当局は、環境保護の名目でダム開発や採掘が行われている。現在、政府による「牧草地の農地改造政策」施行により牧草地は過放牧となり、砂漠化がすすんでいる。
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