入植者の定住
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/11/10 13:53 UTC 版)
「ダボ (ニューサウスウェールズ州)」の記事における「入植者の定住」の解説
1818年ヨーロッパ人で初めて現在のダボについて報告した探検家はJohn Oxleyである。 最初のヨーロッパ人永住者は1832年にこの土地を獲得し「ダボ」と命名したロバート・ダランティで、当時のオーストラリア植民地で最も裕福な者の一人と記録されている。1824年には許可を得た不法占拠者が大規模な羊と家畜小屋をこの地に立ち上げた。ダランティは1828年に創立したDubbo Stationを1930年代前半から占拠の基板としていた。ダランティによる不法占拠は1836年に彼がこの土地の所有許可を取るまで続いた。ダランティはアボリジニと親和的に接し、彼のパーティは40人のアボリジニを含み、Dubboを含めてアボリジニ式の名前を用いることを支持した。ダンダリマルの邸宅は当時から存在する建造物で、John Maughamが1840年に彼の11000ヘクタールの羊牧場に建てた。この建物は現在もニューサウスウェールズ州西部に最も古い建造物の一つとして存在し、一般に対して公開されている。1846年、複数の入植者がこの地域に定住し始め、政府は裁判所や警察署、留置所をダボ地域に設置した。巡査の居住地が1847年に、木板でできた裁判所と留置所が1848に完成したが、当時この居留地に建てられた施設は、その他に店と宿が1軒ずつのみだった。
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