1930年代前半
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「朝鮮南部連続少女誘拐事件」の記事における「1930年代前半」の解説
元巡査による恐喝誘拐事件 1932年3月、元巡査の男(33歳)が遊郭業者とともに少女を恐喝し、誘拐した容疑で検挙。 慶尚南道戸籍偽造事件 1933年4月5日には「漢南楼」という屋号で営業をしていた朝鮮人斡旋業者の呉正渙が慶尚南道において16歳の少女を350円で買い、戸籍を偽造し営業許可を取ろうとしていた。 その他の少女誘拐殺害事件 1933年5月5日の東亜日報には「民籍を偽造 醜業を強制 悪魔のような遊郭業者の所業 犯人逮捕へ」という見出しで、漢南楼の娼妓斡旋業者だった呉正渙が慶尚南道山清邑で16歳の少女を350円で買い、年齢詐称のため兄弟の戸籍で営業許可を取ろうとしていたこと警察の調べで発覚したと報道した。 1933年6月30日には少女を路上で誘拐し中国に売却していた男(当時35歳)と、別に夫と子供がいた女(当時41歳)が逮捕された。さらに誘拐された少女のひとりは、干濱海(当時35歳)という男に20ウォンで売却された後に殺害された。 1934年4月14日にも災害地での処女誘拐が発覚。 1934年7月には養父から金弘植という業者に売却された11歳の少女が警察に保護された。
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1930年代前半
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1929年より佐賀県内の玉島川・厳木川および既設広滝発電所の下流地点の計3か所にて水力発電所建設に着手し、1930年(昭和5年)11月に玉島発電所(出力2,000 kW)、同年12月に厳木発電所(同5,230 kW)、翌1931年(昭和6年)12月に広滝第二発電所(同1,000 kW)をそれぞれ竣工させた。3か所とも運転員が常駐しない自動発電所であることから、発電所建屋を省いた設計の屋外発電所とされた。また厳木発電所は上流に調整池を持ちピーク時の需要(尖頭負荷)に応じて発電する尖頭負荷発電所であるが、下流にも逆調整池を設置し下流側の河川流量に影響を与えないよう設計されている。加えて1931年11月、玉島水電から出力31kWの小水力発電所を譲り受けた。 水力開発に続き名島火力発電所の40,000kWに及ぶ増設計画を立てたが、宮崎県にて電気化学工業・大淀川水力電気が開発した大淀川の発電所から受電することとなり、増設を取りやめた。送電会社の九州電力が別に設立され同社によって大淀川発電所から熊本・大牟田を経て佐賀県武雄へ至る110kV送電線が建設されたことから、東邦電力では1932年(昭和7年)3月20日より武雄変電所にて九州電力からの受電を開始した。受電電力は最大で20,000kWであるが、その半分は共同で受電する九州水力電気の分であり、自社送電線を用いて同社分の電力輸送を受託した。受電開始に伴い、東邦電力から九州水力電気への送電に応じて元からある九州水力電気から東邦電力への送電が相殺される形となっている。 九州電力からの受電開始に先立つ1931年9月、武雄変電所が移設され、川上川第一発電所からの送電線と佐世保方面への送電線、長崎方面への送電線の3路線が集中する変電所とされた。その後1934年(昭和9年)に、東邦電力は九州電力より同社の110kV線のうち大牟田の三池変電所から武雄変電所までの区間を譲り受けている。 下関支店区域では、需要増加に伴って1931年に前田火力発電所を拡張し、ボイラー3台と12,500kW発電機1台を増設した。だが1933年(昭和8年)5月、下関支店区域の事業を山口県電気局へと譲渡したことで、前田・下関両発電所も東邦電力の手を離れた。 1934年12月末時点における東邦電力九州区域の発電所は水力発電が11か所・出力計26,211 kW、火力発電が3か所・出力計43,000kWで、受電(融通電力を除く)は九州送電・九州電力からがそれぞれ14,000 kW、熊本電気からが4,000 kW、耕地整理組合(矢部川発電所)からが1,500kWであった。
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