1930年代前半の事業整理
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 09:28 UTC 版)
「東邦電力」の記事における「1930年代前半の事業整理」の解説
すでに記したように、1930年(昭和5年)3月に四日市・奈良両支店管内の事業を合同電気へ、同年8月に豊橋営業所管内の事業を中部電力へとそれぞれ譲渡したが、その3年後の1933年(昭和8年)には山口県の下関支店管内の事業を県へと譲渡した。 山口県においては、錦川における県営水力開発に着手した県当局が分立する県内電気事業の統一を志向し、その第1歩として1924年4月1日、山陽電気・宇部電気・中外電気の3社を統合して山口県営電気事業を始動させた。県は次なる統合計画の萩電灯・防府電灯の事業買収作業が進展する(1927年11月統合に至る)と、その次の統合対象として東邦電力下関支店区域の買収を計画、1926年(大正15年)1月より会社側との交渉を開始した。下関市を中心とする東邦電力下関支店区域は、県内でも有数の需要地であった。 1926年に始まった東邦電力と山口県の交渉は、国から県に対する財政緊縮要求や会社側の交渉担当者の交代などで自然消滅となった。その後県は事業買収の機会を待ち続け、1930年代初頭に発生した外債問題(後述)で東邦電力が資金難に陥った際にすぐさま事業買収の話を持ち掛けた。東邦電力は直ちに応諾、価格交渉の結果1530万円で事業を県へ売却すると決定し、1932年11月24日付で譲渡契約を締結した。譲渡対象は東邦電力が山口県内に持つ事業と財産の一切で、前田火力発電所も含まれる。東邦電力から県への事業の引き渡しは翌1933年(昭和8年)5月1日付で完了した。 東邦電力の電気事業のうち公営化されたのはこの下関支店管内のみである。公営化の動きは名古屋市や佐世保市でもあり、どちらも前身会社時代に締結されていた報償契約の規定を元に事業の市営化を主張したが、公営化は実現していない。
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