1930年代以降の「トロツキスト」とは? わかりやすく解説

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1930年代以降の「トロツキスト」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 15:55 UTC 版)

ニセ「左翼」暴力集団」の記事における「1930年代以降の「トロツキスト」」の解説

1934年発生したソ連共産党政治局セルゲイ・キーロフ暗殺事件を「トロツキー一派仕業」とでっち上げ1936年大粛清開始したヨシフ・スターリンは、敵対者、あるいは潜在的な反対派みなした人物に対してトロツキスト」というレッテル多用した世界各国共産党は、自ら以外の共産主義組織および共産主義者、あるいは指導部指導従わない党員、党を離れたものに対す蔑称としてスターリンの定義踏襲してトロツキスト」を多用してきた。その場合は、「階級敵の側に転じた裏切り者」「左翼装った挑発者」「スパイ反革命集団)」を意味していた。 コミンフォルムは、ソ連政府およびスターリン指導拒否したユーゴスラビアチトーに対して大々的な「チトー=トロツキスト・キャンペーン」を行った日本では同時期の1950年日本共産党内部分裂した所感派」と「国際派」が互いを「トロツキスト」と罵り合っていた。60年安保闘争時は、決しトロツキーの思想影響にあったわけではなかった共産主義者同盟および全学連を「極左冒険主義トロツキスト集団」と非難していた。また、トロツキズム乗り越えた新しい体系反スターリン主義」を標榜する革マル派中核派、さらにトロツキズムのみならずレーニン主義すら否定する解放派まで、一括りに「トロツキスト」と規定していた。「トロツキスト」は、口語では(新左翼党派構成員指して)「トロ」と略されて、下部党員民主青年同盟員の間で一般的に使用されていた。

※この「1930年代以降の「トロツキスト」」の解説は、「ニセ「左翼」暴力集団」の解説の一部です。
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