1930年代の黄金期と衰退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 23:27 UTC 版)
「レアル・ベティス」の記事における「1930年代の黄金期と衰退」の解説
1931年から1939年まではスペインで第二次共和制が成立し、ベティスとレアル・マドリードはクラブ名から「レアル」の文字を取り除いた。スペイン内戦後に再びレアル・ベティス・バロンピエに戻るまで、ベティスは単にベティス・バロンピエ (Betis Balompié) と呼ばれた。1931-32シーズン、ベティスはクラブ創設25周年を初のセグンダ・ディビシオン(2部)優勝で祝い、アンダルシア州のクラブとして初めてプリメーラ・ディビシオン(1部)に参戦した。1934-35シーズン(1934–35 La Liga)にはパトリック・オコネル監督に導かれ、15勝4分3敗、勝点34の成績でクラブ初の(そして唯一の)リーグ優勝を果たした。2位は16勝1分5敗、勝点33のレアル・マドリードで、勝点わずか1差だった。FCバルセロナ、アスレティック・ビルバオ、レアル・マドリードに次ぐ4つ目の優勝クラブであった。しかし、翌1935-36シーズンは7位に終わった。これは、貧弱な財政状況に悩まされたことや、内戦への突入によって優勝メンバーの離脱が進んだためである。1936年から1939年までは内戦のためリーグ戦自体が開催されず、内戦終結後の1939-40シーズンに復活したが、このシーズン11位に終わり再びセグンダ・ディビシオン降格となった。
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