韓国の教科書における衛氏朝鮮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 14:59 UTC 版)
「衛氏朝鮮」の記事における「韓国の教科書における衛氏朝鮮」の解説
「古朝鮮とは、14世紀以後の李氏朝鮮に対して呼ぶもので、檀君朝鮮・箕子朝鮮・衛氏朝鮮をまとめた呼称である。ただし、檀君朝鮮・箕子朝鮮は、神話伝説の時代であり、具体的な歴史事実は明らかではない。その点でいえば、衛氏朝鮮から、歴史が始まることになる」というような理解が通説である。 しかし、韓国の教科書の高等『国史』には、古朝鮮は紀元前2333年に成立し、その支配は中国遼寧から朝鮮半島まで及んでいたと記述され、古朝鮮の根拠を琵琶形銅剣の分布にもとめて、古朝鮮建国の根拠として檀君神話を紹介している。このように檀君朝鮮が小学『社会』に記載されている対して、朝鮮最初の国家である衛氏朝鮮に関する記載が無く、中学『国史』以後論述されているように、檀君朝鮮の方が衛氏朝鮮よりも学習上重要視されている。朝鮮の歴史の舞台である朝鮮半島が、中国大陸と直接に領土を接しているため、朝鮮史は中国情勢の影響を受けるが、中国人の朝鮮半島への流入、中国による朝鮮半島支配など、中国による朝鮮の歴史への関与を教科書に論述することを認めたくないため、衛満を燕人(中国人)を教科書に論述するかは教科書執筆者にとって難問であった。 燕地域から部下を率いて古朝鮮にやってきた。 — 中学国史、1996年 衛満の古朝鮮は檀君の古朝鮮を継承したものといえる。 — 高校国史、学習の手助け 衛満朝鮮の意味、1996年 高校『国史』では、衛満が中国から朝鮮に来た人物としつつも、「学習の手助け 衛満朝鮮の意味」という項目では、衛満が朝鮮の服を着ていたこと、国号を朝鮮にしたこと、土着民が政権の中枢に存在したことをわざわざ論述する。服装や国号、土着民の存在など朝鮮系要素が強調されていて、小学『社会』において、檀君朝鮮についての記述がみえるものの、衛満に関する記述がないのは衛満が中国(燕)人だからである。 1940年代-1960年代にかけて崔南善が執筆した教科書は、衛満は、本来「朝鮮人」であったが、燕に居住していて、再度朝鮮に戻り王になったと記述している。衛満を「朝鮮人」に「偽装」することで、衛氏朝鮮を教科書に位置付けようとする。 西方から二千百年ほど前に長らく中国で暮らし、中国人の性格をよく知る衛満という人物が戻ってきたので、朝鮮では中国人に関する問題を彼に担当させた。 — 崔南善、中等国史、1947年 燕に行き役人となっていた。 — 崔南善、高等国史、1957年 長期間燕で居住し、中国人の性格をよく知る。 — 崔南善、国史、1962年 1960年代になると、衛満が中国(燕)人であることを完全には否定しないが、教科書に衛満の出自を中国(燕)人と具体的に記さない記述がみえてくる。 長期間燕で居住し、中国人の性格をよく知る。 — わが国の文化史、1965年 1990年代に編纂された国史編纂委員会高校『国史』註では、衛満が朝鮮に入国する際に、髷を結い、朝鮮の服を着ていたことから、衛満を朝鮮人と推定している。これらは40年代-60年代の崔南善の主張と酷似している。 燕に居住していた朝鮮人とおもわれる。 — 国史編纂委員会、国史、1996年 教科書における衛満・衛氏朝鮮に関する記述は檀君・檀君朝鮮に関する記述に比して全体的に少ない。このことは、教科書執筆者たちが、事実上衛満を「朝鮮人」に「偽装」することができなかったことを示唆している。
※この「韓国の教科書における衛氏朝鮮」の解説は、「衛氏朝鮮」の解説の一部です。
「韓国の教科書における衛氏朝鮮」を含む「衛氏朝鮮」の記事については、「衛氏朝鮮」の概要を参照ください。
- 韓国の教科書における衛氏朝鮮のページへのリンク