14世紀前半の投下とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 14世紀前半の投下の意味・解説 

14世紀前半の投下

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 14:47 UTC 版)

投下 (モンゴル帝国)」の記事における「14世紀前半の投下」の解説

1290年クビライ死去すると、これを好機見たカイドゥ大元ウルスに対して攻勢出た1300年代初頭にはアルタイ山脈周辺において両国大会戦繰り広げられたが、特に1306年テケリクの戦い激戦となり、この戦闘負った傷によってカイドゥ同年陣中死したカイドゥ死後、その配下にあったチャガタイ家ドゥア独自に大元ウルス結んでオゴデイ家挟撃し、 事実上「カイドゥ・ウルス」を乗っ取ったチャガタイ・ハン国成立)。ドゥアカイドゥ異なり大元ウルスとの友好関係維持したため、モンゴル帝国モンケ時代以来数十年ぶりに「東西和合」の時代迎えたこのような流れの中で、モンゴル帝国各地においてかつての投下権益復活させる動き見られるようになった。まず、フレグ・ウルスでは第7代当主ガザン1304年大元ウルス使者海路派遣し、その使者4年滞在の後に「フレグの受けるべき分け前であったが、モンケ・カアンの時代以来保管されていた」財貨渡され帰還したという。この時にフレグ・ウルス送られた財貸こそが、モンケの治世フレグ割り当てられ彰徳路から得られる収益(=アガル・タマルであった考えられている。また、同時期にガザン・ハン財政改革一環としてイクター制施行したが、このイクターは「土地の“収入”を授与する」という点で伝統イスラーム社会の「イクター制度」とは異なるものであり、これもまたモンゴル高原における人口分配由来する投下制度」の派生形ではないか考えられている。 逆に大元ウルスの側がかつて失われた中央アジアにおける投下領の分配を再把握することもあった。『元史』巻22武宗本紀1には、「東西和合」を達成したクルク・カアン(カイシャン)の治世1年目1308年9月、「万人隊長万戸)」のイレムン・ハサンなる人物がセミスケント(サマルカンドモンゴル側から呼び名)より訪れチンギス太祖)の治世編纂された「戸口青冊」をもたらし、またその17日後にセミスケント・タラス・タシュケントから「民賦」が送られてきたことが記録されている。「戸口青冊」とはチンギス治世モンゴル高原遊牧民数を記録した「青き文書(ココ・デプテル)」に他ならず、この時大元ウルス進呈されたものは中央アジア戸籍簿とそれに基づくトゥルイ家対す人口分配記録、そして本来はトゥルイ家取り分ありながらカイドゥの乱」によって長らく送付途絶えていた「アガル・タマル五戸絲)」であったとみられる。更にその翌年尚書省は「昔セチェン・カアン(世祖)は『叛王カイドゥ分地から得られる五戸絲は、彼が来降した時に賜ることとする』と仰せになり、それ以来20年間[カイドゥ家の五戸絲は]保管されきました。今カイドゥの子チャパル来降してきましたので、これを賜ることを請います([至大三年三月庚寅尚書省臣言『昔世祖有旨、以叛王海分地五戸絲為幣帛、俟彼来降賜之、二十餘年。今其子察八児向慕徳化、帰覲闕廷、請以賜之)」と述べ前年中央アジアからの送付入れ替わる形でカイドゥ家への五戸絲の分発が行われていた。 更に時代下って1336年(後至元2年)には、ジョチ・ウルス第7代当主ウズベク・ハンジョチ家投下であったが、帝位継承戦争以来ジョチ家連絡がとれなくなっていた晋寧路旧名平陽路)からの収益要求してきた。しかし、既にこれを管轄する公的機関がなかったため、翌1337年(後至元3年)に総管府が設置された。1341年至正元年)にウズベク・ハン亡くなりジャーニー・ベク・ハンが立つと、晋寧路平陽晋州永州分の歳賦2400錠のジョチ・ウルスへの送付1345年至正5年)から始められたという。 これらの記録は、チンギス・カンの時代から100年以上経った14世紀中においても各ウルスにおいて投下領についての記録残っていたこと、後世において別個の国家であると語られがちな「4ウルス大元ウルス・ジョチウルス・チャガタイウルス・フレグウルス)が共通の価値観有する連合体であったことを示す好例であるといえる

※この「14世紀前半の投下」の解説は、「投下 (モンゴル帝国)」の解説の一部です。
「14世紀前半の投下」を含む「投下 (モンゴル帝国)」の記事については、「投下 (モンゴル帝国)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「14世紀前半の投下」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「14世紀前半の投下」の関連用語

1
2% |||||

14世紀前半の投下のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



14世紀前半の投下のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの投下 (モンゴル帝国) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS