オゴデイ家とは? わかりやすく解説

オゴデイ家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/06 06:02 UTC 版)

オゴデイ家(オゴデイけ)は、チンギス・ハーンの三男オゴデイから始まる家系である。

チンギスの三男オゴデイは父の存命中からその戦役に従って多くの功績を立てた。温厚な人柄からチンギスに後継者に指名され、1229年モンゴル帝国の第2代皇帝として即位した。オゴデイは耶律楚材ら多くの漢人ブレーンを重用して帝国内の整備を行い、を滅ぼし、またジョチ家バトゥらを大将にして西征を行わせて東欧にまで進出する。しかし南宋攻略には失敗し、皇太子のクチュまでも失った。このため有力な後継者を欠いたまま1241年にオゴデイが急死すると、後継をめぐってオゴデイ家とチャガタイ家トルイ家ジョチ家の間で抗争が起きるが、オゴデイの皇后であったドレゲネの政治工作で1246年にオゴデイの長男グユクが第3代皇帝となる。

しかし1248年、グユクは急死した。ドレゲネも先年に没しており、オゴデイ家やチャガタイ家では有力な人材を欠いていた。オゴデイ家はクチュの子シレムンを擁立したが、ジョチ家のバトゥに推されたトルイ家のモンケ1251年に第4代皇帝に即位すると、モンケやバトゥの徹底的な粛清を受けたオゴデイ家ではシレムンをはじめ、グユクの皇后だったオグルガイミシュらが処刑され、以後はトルイ家のもとで細々と生きることになる。

しかしモンケの没後、トルイ家のクビライアリクブケの間で帝位継承戦争が起きると、オゴデイの孫であるカイドゥはアリクブケに与してクビライと敵対した。継承戦争終結後もジョチ・ウルスチャガタイ・ハン国を巻き込んでクビライと敵対した(詳細はオゴデイ・ハン国を参照)。

しかし1301年にカイドゥが死去すると、オゴデイ・ハン国は急速に衰退し、最終的にはチャガタイ・ハン国によって滅ぼされ、オゴデイ家の系統は仇敵であるトルイ家(クビライ家)を頼って没落した。


オゴデイ家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 14:47 UTC 版)

投下 (モンゴル帝国)」の記事における「オゴデイ家」の解説

モンケ時代に「オゴデイ・ウルス」という単位解体されオゴデイ諸子ごとに投下領が設定されたため、『元史』巻95歳賜一覧には「オゴデイ・ウルス」に相当する項目がない。以下にはオゴデイ崩御前のオゴデイ・ウルス投下領と、グユク家コデン家を除くオゴデイ諸子投下領を挙げる。 名称別名地獲得備考ウルングゥ河畔 モンゴル高原 1206年 建国時の封地 大同路 西京華北ヒタイ1236年丙申年) 丙申年分時に獲得。後にカアン皇帝直轄領になる。 西涼河西タングート1227年丁亥年) 西夏滅亡時に獲得。後にコデン・ウルスの本領となる。 汴梁路睢州 華北ヒタイ1257年丁巳年) 第3クチュ家の投下領(太宗子闊出太子位) 汴梁路蔡州 華北ヒタイ1257年丁巳年) 第5子カシン家の投下領(太宗子合失大王位) 汴梁路鄭州 華北ヒタイ1257年丁巳年) 第6子カダアン家の投下領(太宗子合丹大王位) 常寧江南マンジ1281年至元18年) 第6子カダアン家の投下領(太宗子合丹大王位) 汴梁路鈞州 華北ヒタイ1257年丁巳年) 第7子メリク家の投下領(太宗子滅里大王位)

※この「オゴデイ家」の解説は、「投下 (モンゴル帝国)」の解説の一部です。
「オゴデイ家」を含む「投下 (モンゴル帝国)」の記事については、「投下 (モンゴル帝国)」の概要を参照ください。

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