クリルタイ【Quriltai】
クリルタイ
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クリルタイ(モンゴル語:ᠻᠦᠷᠦᠯᠳᠠᠶ、Хуралдай、Khuruldai、トルコ語:Kurultay)は、中世から近世にかけて開催されたモンゴルの最高意思決定機関である。有力者が集まってカアンの位の決定、戦争・法令などを議題にした。『元朝秘史』では忽隣塔、『集史』などのペルシア語資料では قوريلتاى Qūrīltāī などと表記される。
- ^ 旧ソ連諸国の指導者 強権維持へ「全国会議」憲法で制度化 議会のチェック回避も『日本経済新聞』朝刊2020年12月29日(国際面)同日閲覧
- 1 クリルタイとは
- 2 クリルタイの概要
クリルタイ(1248年)
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「ウリヤンカダイ」の記事における「クリルタイ(1248年)」の解説
1248年にグユクが没した後、グユクの第一皇后オグルガイミシュが摂政監国となり自子を次期モンゴル皇帝に推戴するためクリルタイの開催を目論んだが、ウリヤンカダイはジョチ家やトルイ家の王族たちとともにバトゥの遠征軍にも参加していたトルイ家の長子モンケの推戴を主張し、ジョチ家とトルイ家によってモンケ擁立のクリルタイが開かれたが、これをオグルガイミシュからの使者が謀反を疑い詰問したところ、ウリヤンカダイは「これはクリルタイによってすでに議決されたことである」と主張し論破したという。
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