皇帝に推戴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 07:22 UTC 版)
330年2月、群臣達は石勒の功業が既に充分であることから、尊号を王から帝へ改めるべきであると議論し合った。その為、石虎らは皇帝の璽綬を奉じて石勒に尊号を奉ったが、石勒は聞き入れなかった。だが、群臣と共に再度固く要請すると、石勒は「皇帝の代行」たる、趙天王を称した。石虎は太尉・守尚書令に任じられ、中山王に進封され、食邑は1万戸に及んだ。また、石虎の子である石邃は冀州刺史・散騎常侍・武衛将軍・斉王となり、石宣は左将軍となり、石挺は侍中・梁王となった。 9月、群臣が再三に渡って石勒に尊号に即くよう求めると、石勒は遂にこれを受け入れ、皇帝位に即いた。
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