コデン家とは? わかりやすく解説

コデン家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 14:47 UTC 版)

投下 (モンゴル帝国)」の記事における「コデン家」の解説

元史』巻95歳賜一覧では「太宗子闊端太子」として記録されている。コデン家はカダアンとともに帝室同士内戦トゥルイ家味方したため、オゴデイ王家の中では唯一華北河西江南3地域全て投下領を有している。 名称別名地獲得備考永昌路 西涼河西タングート1227年丁亥年) 西夏滅亡時に獲得オゴデイ獲得した領地継承したもの。 東昌路 博州路 華北ヒタイ1236年丙申年) 丙申年分時に獲得 常徳路 江南マンジ1276年至元13年江南分撥時に獲得

※この「コデン家」の解説は、「投下 (モンゴル帝国)」の解説の一部です。
「コデン家」を含む「投下 (モンゴル帝国)」の記事については、「投下 (モンゴル帝国)」の概要を参照ください。


コデン家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 23:37 UTC 版)

ナヤン・カダアンの乱」の記事における「コデン家」の解説

集史』「イェスゲイ・バートル紀」のオッチギン家条には「オゴデイ・カアンの息子コデン一族」がナヤンの乱呼応したとあり、具体的な人名不明だオゴデイ系コデン家の人物反乱加担していた。一方、『元史』には「1288年至元25年)にイェス・ブカ(也速不花)が謀叛企んだが、逮捕され首都送られ処刑された」との記述があり、この也速不花は『五族譜』で「コデン息子メルギデイの息子とされるイェス・ブカ(ییسوبوقا/yīsū būqā)で、この人物こそがナヤンの乱呼応したコデン家の人間ではないか推測されている。

※この「コデン家」の解説は、「ナヤン・カダアンの乱」の解説の一部です。
「コデン家」を含む「ナヤン・カダアンの乱」の記事については、「ナヤン・カダアンの乱」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「コデン家」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「コデン家」の関連用語

コデン家のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



コデン家のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの投下 (モンゴル帝国) (改訂履歴)、ナヤン・カダアンの乱 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS