トロント・ブルージェイズ
トロント・ブルージェイズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/22 03:07 UTC 版)
「デーブ・スティーブ」の記事における「トロント・ブルージェイズ」の解説
1978年のドラフトでトロント・ブルージェイズから5巡目に指名を受け入団。当初は外野手だったが、強肩を生かすため投手にコンバートされる。1979年はA級とAAA級合計で10勝2敗の好成績を残してメジャーに昇格し、6月29日のボルティモア・オリオールズ戦でメジャーデビュー。8月11日のシカゴ・ホワイトソックス戦でメジャー初完封を記録するなど8勝8敗・防御率4.31を記録。初のフルシーズンとなった1980年はオールスターゲームに初選出を果たす。9月に5連敗を喫するなど調子を落としたが、12勝15敗・防御率3.71を記録した。1982年は前半戦で7勝10敗・防御率3.96だったが、後半戦で10勝4敗・防御率2.59と調子を上げ、シーズン通算で17勝14敗・防御率3.25を記録。また19完投・5完封・288.1イニング・271被安打もリーグトップだった。サイ・ヤング賞の投票では4位に入った。1983年は開幕から好調で5月まで防御率1点台を維持し、2年ぶりにオールスターゲームに選出され先発投手を務めた。最終的に17勝12敗・防御率3.04を記録した。1984年は開幕5連勝をマークするなど前半戦で9勝を挙げ、オールスターゲームでは前年に続いて先発した。16勝8敗・防御率2.83を記録し、チームも地区2位まで上昇。 1985年は前半戦で9勝5敗・防御率1.87を記録し、3年連続でオールスターゲームに出場。後半戦でやや数字を下げたが、14勝13敗・防御率2.48で最優秀防御率のタイトルを獲得し、球団創設以来初の地区優勝に貢献。同年から7回戦制となったカンザスシティ・ロイヤルズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第1戦に先発し、8回無失点で勝利投手。第4戦でも7回途中1失点の好投で味方の逆転を呼び3勝1敗と追い詰めたが、その後3勝3敗のタイに持ち込まれる。最終第7戦でも先発したが6回途中6失点で降板して敗戦投手となり、リーグ優勝を逃した。オフに球団と当時のメジャー最高額で10年契約を結んだ。最後の3年は球団に選択権のあるオプション契約だったが、その内容がそれぞれ190万ドル、200万ドル、210万ドル。100万ドルプレイヤーがメジャー全体で50人程度でしかなかった当時においては破格の高給で、200万ドル以上の契約を結んだ選手は当時は他にマイク・シュミット、オジー・スミス、ブルース・スーターぐらいであった。 1986年は開幕6連敗を喫するなど前半戦は2勝9敗・防御率5.80と絶不調。後半持ち直したが7勝12敗・防御率4.74と不本意な成績に終わる。1987年は7連勝を記録するなど13勝を挙げる。1988年は前半戦で10勝をマークし、3年ぶりにオールスターゲームに出場するなど16勝8敗・防御率3.04と復活を遂げる。9月24日のクリーブランド・インディアンス戦では9回2死まで無安打に抑えたが、フリオ・フランコ(後にロッテ)に安打され、ノーヒッターを逃す。9月30日のオリオールズ戦でも9回2死まで無安打に抑えるが、代打ジム・トレーバー(後に近鉄)に安打され、2試合連続で最後の打者に打たれて快挙を逃した。1989年8月4日のニューヨーク・ヤンキース戦でも9回2死までパーフェクトに抑えたが、そこから連打を浴びて失点し、完全試合どころか完封も逃した。同年は5月まで防御率5.46だったが、その後復調して17勝8敗・防御率3.35を記録し、チームの4年ぶりの地区優勝に貢献。オークランド・アスレティックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第1戦と第5戦に先発し、デーブ・スチュワートと投げ合うがいずれも敗れ、チームも1勝4敗で敗退した。1990年は前半戦で11勝を記録し、2年ぶりにオールスターゲームに出場。9月2日のインディアンス戦でついに球団史上初のノーヒッターを達成。自己最多の18勝を挙げ、サイ・ヤング賞の投票で5位に入った。 1991年は故障で5月22日の登板を最後に離脱。わずか9試合の登板で4勝に終わる。1992年は7月からリリーフに降格となり、4勝6敗・防御率5.04に留まる。チームは球団創設以来初のリーグ優勝を果たし、ワールドシリーズでもアトランタ・ブレーブスを破ってワールドチャンピオンに輝いたが、ポストシーズンでの登板機会はなかった。オプションは行使されずフリーエージェントとなり、12月8日にホワイトソックスと契約。
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トロント・ブルージェイズ
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「アル・ライター」の記事における「トロント・ブルージェイズ」の解説
移籍後は1試合の先発登板のみで、その後1992年まで計9試合の登板に留まる。1993年にメジャーに定着し、6月17日のボストン・レッドソックス戦で、被安打2でメジャー初完投・初完封。9勝6敗・防御率4.11を記録し、チームの地区連覇に貢献。シカゴ・ホワイトソックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは2試合に登板し、チームはリーグ連覇を果たす。フィラデルフィア・フィリーズとのワールドシリーズでは第1戦で6回から登板し、ピンチを招くものの2.2イニングを無失点に抑え勝利投手。第4戦では3回からリリーフするが6失点と打ち込まれる。チームは第6戦でジョー・カーターの逆転サヨナラ3点本塁打でシリーズ連覇を果たした。1994年からは先発専任となるが、1994年から1995年のMLBストライキの影響もあり6勝に留まる。1995年はリーグワーストの108四球・14暴投ながら11勝11敗・防御率3.64を記録。オフにフリーエージェントとなり、12月14日にフロリダ・マーリンズと契約。
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トロント・ブルージェイズ
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「ダニー・ヤング (1994年生の投手)」の記事における「トロント・ブルージェイズ」の解説
ヤングは、トロント・ブルージェイズから、第8ラウンドで指名された。2019年ヤングは、DFAとなり、フリーエージェントになった。
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「トロント・ブルージェイズ」の例文・使い方・用例・文例
- ヤンキースは3月31日にトロント・ブルージェイズと開幕戦を行う予定だ。
- ニューヨーク・ヤンキ-スの松井秀喜外野手がカナダのトロントで行われたトロント・ブルージェイズとの開幕戦で,メジャーリーグでの経歴をスタートさせた。
- ロドリゲス選手の600号はニューヨークのヤンキースタジアムでのトロント・ブルージェイズ戦で放たれた。
- 9月23日のトロント・ブルージェイズ戦で,シアトル・マリナーズの鈴木イチロー選手がシーズン200安打を記録した。
- イチロー選手の4000本目のヒットはトロント・ブルージェイズ戦の1回に出た。
- カナダのチームはトロント・ブルージェイズです。
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