初の地区優勝とは? わかりやすく解説

初の地区優勝(1979年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 23:03 UTC 版)

ロサンゼルス・エンゼルス」の記事における「初の地区優勝(1979年)」の解説

1972年ニューヨーク・メッツからトレードノーラン・ライアン移籍当時ライアン持ち前豪速球には凄まじいものがあったが、制球苦しみ、なかなか活躍できない状況続いていた。しかしエンゼルス移籍するや否や防御率2.28・1916敗・329奪三振という活躍をみせる。 1973年にはサンディー・コーファックス1965年記録したシーズン382奪三振を抜くシーズン383奪三振記録翌年以降毎年20前後挙げエンゼルス4度ノーヒットノーラン達成するなど、MLB代表する投手へと成長する1978年シーズン途中ジム・フレゴシ36歳という若さ監督就任。フレゴシは元エンゼルス遊撃手で、ライアンとのトレードメッツ移籍した経緯持ちこの年5月引退したばかりだった。この年には、ツインズから移籍したライマン・ボストック射殺される悲劇もあったが、フレゴシ監督の下で8775敗と8年ぶりに勝ち越し2位シーズン終える。そして1979年には、ライアン加えてロッド・カルードン・ベイラーボビー・グリッチらを擁し、初の地区優勝を遂げたカルー首位打者こそ逃したものの打率.318と期待にそぐわぬ活躍をみせ、ベイラー打率.296・36本塁打139打点記録しア・リーグMVP輝いた。続くリーグチャンピオンシップシリーズではアール・ウィーバー率いオリオールズ対戦し、1勝3敗で敗れた1979年限りライアンチーム離れ、翌1980年には6595敗と大きく負け越したまた、この年にはNFLロサンゼルス・ラムズアナハイム・スタジアム使用するようになり、球場アメフト兼用改修され収容人数43,000人から64,593人に増加された。このためアメフト兼用球場改築した他球団同様に試合数の少なアメフト試合では観客席が埋まる一方試合数の多い野球試合では空席が目立つといった弊害悩まされることとなる。 1981年前後期制導入され前期3129敗で4位だったものの、50日間に及ぶストライキ短縮され後期には2030敗で最下位沈んだ。なお、この年にはグリッチ22本塁打本塁打王輝いている(22本塁打でのタイトル戦後では最少。他にも3人が22本塁打記録した)。

※この「初の地区優勝(1979年)」の解説は、「ロサンゼルス・エンゼルス」の解説の一部です。
「初の地区優勝(1979年)」を含む「ロサンゼルス・エンゼルス」の記事については、「ロサンゼルス・エンゼルス」の概要を参照ください。

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