初の図書室の設立
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1906年(明治39年)、函館区内では函館毎日新聞の投稿者たちにより、知識と教養の向上のための団体として「函館毎日新聞緑叢会」が結成された。これを知った岡田は早速入会し、図書館の必要性を説いた。この岡田の提案は結成同年の大会で満場一致で可決され、同会は図書館設立に向けて動き出し、岡田は設立委員に任命された。折しも1897年(明治30年)の帝国図書館開設を皮切りに、京都府立図書館、大阪府立図書館が開設するなど、日本全国で図書館の開館ブームが巻き起こっている時代であった。 翌1907年(明治40年)、岡田の自宅兼店舗を「函館毎日新聞緑叢会付属図書室」とし、岡田や会員たちの蔵書、各出版元から新刊紹介のために函館毎日新聞社に寄贈された図書の無料公開が開始された。これは図書館よりむしろ貸本屋に近いもので、店舗内でろうそくを作っている岡田の周りに書棚が並んでおり、来客の都度、岡田が本業の手を休めて図書の貸出を行なうという、小規模のものであった。 岡田たちの期待とは裏腹に、当初の利用者は1か月に22人から23人程度であったが、3か月も経つと、次第に函館区民にこの図書室の存在が浸透した。しかし同時期に函館を大火災が襲い、岡田の店舗は焼失。図書室の蔵書類も大半が失われ、閉鎖を余儀なくされた。岡田は一度は落胆したものの、このことが、火災の多い函館で大火災に耐え得る図書館の建造を目指すきっかけとなった。 なお先述した函館区共有文庫も、函館教育協会内において再び書籍館経営が検討されていたものの、この年の大火で焼失に至った。
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