初の南米カップ戦出場以後
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「コロン・デ・サンタフェ」の記事における「初の南米カップ戦出場以後」の解説
1997年、コパCONMEBOLに参加して初の南米カップ戦出場を果たした。ウニベルシダ・デ・チレ(チリ)が初対戦の相手であり、コロンは勝ち進んで準々決勝に進出したが、CAラヌースとの同国対決に敗れた。クラウスーラ1997では過去最高位の2位でシーズンを終えた。アペルトゥーラ1996とクラウスーラ1997はCAリーベル・プレートが連覇したため、両シーズンの2位同士でプレーオフが行われた。1997年12月に行われたコパ・リベルタドーレスの国内予選ではCAインデペンディエンテに0-1で敗れた。これらの素晴らしいシーズンに比べて、1997-98シーズンは失望の残るシーズンとなったが、アペルトゥーラ1998では5位となり、クラウスーラ2000では3位となった。1998年にはコパ・リベルタドーレスに初出場し、リーベルが初対戦の相手となった。コロンは決勝トーナメントに進出し、オリンピア・アスンシオン(パラグアイ)をPK戦の末に破ったが、準々決勝で再びリーベルと顔を合わせ、2試合合計2-5で敗れた。2001-02シーズン終了後の3年間平均勝ち点(降格判定に使用される)では過去最高の6位となった。2002-03シーズンもその順位を維持し、クラブ史上初めてコパ・スダメリカーナの出場権を獲得した。2003年の同大会ではCAベレス・サルスフィエルド(アルゼンチン)を破ったが、ボカ・ジュニアーズ(アルゼンチン)に敗れた。その後の数シーズンはせいぜい中位どまりであり、2007-08シーズン終了後の3年間平均勝ち点では、降格プレーオフ出場となる17位をかろうじて回避する16位まで落ちた。
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初の南米カップ戦出場以後
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「CAコロン」の記事における「初の南米カップ戦出場以後」の解説
1997年、コパCONMEBOLに参加して初の南米カップ戦出場を果たした。ウニベルシダ・デ・チレ(チリ)が初対戦の相手であり、コロンは勝ち進んで準々決勝に進出したが、CAラヌースとの同国対決に敗れた。クラウスーラ1997では過去最高位の2位でシーズンを終えた。アペルトゥーラ1996とクラウスーラ1997はCAリーベル・プレートが連覇したため、両シーズンの2位同士でプレーオフが行われた。1997年12月に行われたコパ・リベルタドーレスの国内予選ではCAインデペンディエンテに0-1で敗れた。 1997-98シーズンは失望の残るシーズンとなったが、アペルトゥーラ1998では5位となり、クラウスーラ2000では3位となった。1998年にはコパ・リベルタドーレスに初出場し、リーベルが初対戦の相手となった。コロンは決勝トーナメントに進出し、オリンピア(パラグアイ)をPK戦の末に破ったが、準々決勝で再びリーベルと顔を合わせ、2試合合計2-5で敗れた。2001-02シーズン終了後の3年間平均勝ち点(降格判定に使用される)では過去最高の6位となった。2002-03シーズンもその順位を維持し、クラブ史上初めてコパ・スダメリカーナの出場権を獲得した。2003年の同大会ではCAベレス・サルスフィエルド(アルゼンチン)を破ったが、ボカ・ジュニアーズ(アルゼンチン)に敗れた。その後の数シーズンはせいぜい中位どまりであり、2007-08シーズン終了後の3年間平均勝ち点では、降格プレーオフ出場となる17位をかろうじて回避する16位まで落ちた。
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