初の地方遠征
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カープ初の地方遠征は1950年3月16日に福山三菱電機球場で行われた対中日1回戦だった。 6月7日には、広島県内で初のビジターゲーム・大洋対広島六回戦が現在三次市の十日市町営野球場で行われた。 開催地はこの数日前に草競馬が催された河川敷。馬糞が所々落ちている雑草茂る原っぱである。客席は三塁側が川の堤で傾斜面がスタンド。平坦な一塁側は馬車や荷車を並べて観客席を作った。座布団代わりに一束二十銭で麦の藁束を売り、品切れになると隣の田んぼからいくらでも補充した。両軍ベンチは馬が繋がれていた丸太ん棒に板を打ち付けた即席ベンチ、勿論屋根はない。ベンチ前にはバケツが置かれ、消防団員が手押しポンプのホースを伸ばし、近所の農家の井戸から水を汲み上げバケツに注ぐ。これが選手たちの飲み水である。スコアボードは小学校の黒板。1枚では数字が読みにくいと2枚並べた。外野柵は、所々に青竹を立てて荒縄1本を腰の高さに張り巡らせた。両翼のポールがないことに試合直前に気付き、慌てて田んぼから稲干し用の丸太を引っこ抜いて立てた。 この環境で公式試合がスタート。雑草やデコボコのグラウンドで、5回にしてカープが早々全員安打の15安打、7回には二死から四球1つをはさんで8本の長短打を放ち10点。ゲーム途中で先発全員得点、全員打点、毎回安打、1イニング3本塁打を記録。カープがこの試合で記録した28安打は、2019年終了時点でもセ・リーグ記録である。22得点は球団記録。 この試合を現地で取材したプレスは、朝日新聞、共同通信社、読売新聞の3社のみで、野球担当になって間もない記者はスコアブックの記入に苦戦した。この試合から両チームの打ち合わせで、外野柵の縄張りの上を越せば本塁打、下をくぐれば二塁打と取り決めた。この試合で外野にお客を入れたかは分からないが、その後外野にお客を入れるとファンがカープに有利になるよう縄を動かした。これで問題を起こしたのが後述する「ナワ・ホームラン」である(#疑惑の本塁打)。
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