お荷物球団 - ミラクルメッツ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 10:17 UTC 版)
「ニューヨーク・メッツ」の記事における「お荷物球団 - ミラクルメッツ」の解説
当時も拡張ドラフトが行われ、ドジャースからはかつての強打者ギル・ホッジスを獲得したが、近年のそれに比べて新規参入球団には不利なため選手層は薄く、発足1年目は40勝120敗、20世紀以降のMLBではワースト3位である勝率.250で終えた。観客動員も振るわず、ポロ・グラウンドが満員になったのはかつてニューヨークを本拠地としていたドジャースやジャイアンツを迎えた試合のみであった。その後も成績は芳しくなく、ステンゲルが監督を務めた4年間は、いずれも100敗以上を喫し、最下位に終わった。ステンゲル監督は「皆さん、ぜひメッツの試合に来てください。素人顔負けのプレーが見られますよ!」と呼びかけ、球団幹部から「名セールスマン」と褒め称えられた。1964年に本拠地をシェイ・スタジアムに移した。お荷物球団として扱われていたものの、1967年にトム・シーバーがメジャーデビューを果たし、新人王を受賞。1968年には前年までセネターズの監督だったホッジスが気心の知れたコーチ陣を連れて監督に就任し、新人のジェリー・クーズマンが19勝を挙げるなど、徐々に力を付けていった。 ナ・リーグが12球団に拡張し、東西2地区制となった初年度の1969年には100勝62敗で初の地区優勝。アトランタ・ブレーブスとのチャンピオンシップシリーズを3連勝で勝ち抜いてリーグ優勝、そして不利が予想されたワールドシリーズでも、レギュラーシーズン109勝53敗のボルチモア・オリオールズを4勝1敗で破り、ワールドシリーズ優勝を果たした。このお荷物球団のまさかの快進撃は「ミラクルメッツ(Miracle Mets)」と称された。ワールドシリーズ優勝を受け、優勝パレード当日の天気予報はニューヨークの天気を「晴れ、ところにより紙吹雪」と粋に祝福した。
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