オゴデイ家との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 17:10 UTC 版)
チンギス・カンの死後、後を継いだオゴデイはレビラト婚によってモゲ・カトンを娶り、非常に寵愛したためモゲ・カトンは他の妃に妬まれるほどであったという。オゴデイの兄のチャガタイもモゲ・カトンに目をつけており、オゴデイがモゲ・カトンを娶ったことを知らなかったチャガタイは使者を送って自分の后妃となるよう要求した。そこでオゴデイはモゲ・カトンは既に自分が娶っており、他に気に入った女性がそちらを与えようと答えたが、チャガタイは自分が気に入ったのはモゲ・カトンであって、その他の女性ならば望まないと答えたとされる。 オゴデイの息子のカシンもまたメクリン部出身の女性スィプキナ(Sīpkīna)を娶っており、彼女から生まれたのがカイドゥであった。カイドゥはモンケ・カアンによって弾圧されたオゴデイ家を建て直し、正統なカアンであるクビライの主権を認めない独立した王権(通称カイドゥ・ウルス)を中央アジアに建設した。メクリン部の住地はカイドゥ・ウルスの領域に近かったため、カイドゥはジタンジュ(Jītānj)が治めるメクリン人を捕らえて自分の配下にした。
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