オゴデイの治世とは? わかりやすく解説

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オゴデイの治世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 17:37 UTC 版)

高智耀」の記事における「オゴデイの治世」の解説

1229年オゴデイ第2代モンゴル帝国皇帝として即位すると、オゴデイは旧西夏国の人材探し求めたため、高智耀周囲から推挙されオゴデイ側近くに仕えようになったオゴデイ仕えるようになってすぐ、1229年中に高智耀は旧西夏国の声楽取り入れるよう進言し、この進言オゴデイによって採用された。しかし、高智耀宮仕えを厭ったため、ほどなくして再び隠棲生活に入った一方1235年クリルタイによって、モンゴル帝国ではバトゥ主将とする西方ルーシ東欧遠征クチュ主将とする東方南宋遠征決定され、その一環としてオゴデイ第2子コデンが旧西夏領を与えられ南宋侵攻右翼軍を務めることになったまた、同年第2回クリルタイでは駅伝制度ジャムチ)の整備決定され、旧西夏領ではコデン指揮の下儒学者までもが駅伝制度整備徴発されるようになったこのような儒学者対す徴発停止してほしいと人々依頼を受け、高智耀直接コデン陳情することにした。この頃コデンは笙を木上にかけて「これを上手く吹くことができれば大い賞賛せん」と述べて優れた吹き手募っていた。コデンへの陳情方法苦慮していた高智耀はこの募集応じ優れた演奏行ってコデン喜ばせた。そこで高智耀は自らの家が代々儒学収めていること、そのため自らも音楽通じ楽士複数召し抱えていることを述べ、自らの楽士コデン献上することを提案したその上で高智耀儒学者徴発をやめるよう陳情し高智耀提案喜んだコデンはこの陳情受け入れた。後に楽士をつれてきた高智耀対しコデン官職授けようとしたが、高智耀はやはり辞退して褒美受け取って帰郷したという。

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オゴデイの治世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/15 02:16 UTC 版)

アブドゥッラフマーン (モンゴル帝国)」の記事における「オゴデイの治世」の解説

西域ペルシア系出身色目人商家出身とされる。 『元史』巻146列伝146耶律楚材伝によると、アブドゥッラフマーンウイグル人訳史(翻訳官)の安天合と第2代皇帝オゴデイ側近チンカイ鎮海)の推挙用いられるようになったという。これより先、モンゴル帝国河南金朝平定によって1238年太宗10年/戊戌)までに税収が110万両(=2万2千錠)に増加していたが、1239年太宗11年/己亥12月アブドゥッラフマーンはその倍額に当たる220万両(=44千錠)を撲買(徴税請負)を行うと申し出た。当然、この税収増額は民からの過酷な徴収の上成り立っていたため、耶律楚材は声を荒げ涙ながらにアブドゥッラフマーンによる徴税改めるよう訴えたが、オゴデイ・カアンは「試しにやらせてみよ」と述べて耶律楚材進言取り上げなかった。こうして、翌1240年太宗12年/庚子正月アブドゥッラフマーンは「提領諸路課税所官」に任じられ以後ヒタイ(旧金朝華北地方徴税務めようになった徴税額が上がったヒタイ地方漢地)では以前にも増してウイグル商人高利貸し問題となり、同1240年には利子元金超えないようにすべしとの命が出される至っている。

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