メリク_(オゴデイ家)とは? わかりやすく解説

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メリク (オゴデイ家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/29 09:07 UTC 版)

メリクモンゴル語: Melik中国語: 滅里、生没年不詳)は、チンギス・カンの子のオゴデイの息子で、モンゴル帝国の皇族。『元史』などの漢文史料では滅里・蔑里、『集史』などのペルシア語史料ではملکMelikと記される。「歴史コレクション」には、メリギン・カーンが父親のオゲデイとともに育ち、イスラム学者ダニシュメンド・ハジブ氏によって育てられたことが記録されており、メリギンの宗教はイスラム教であると記録されている。[1]『モンゴル秘史』の第 270 章には、メリギンがヨーロッパ遠征に参加した 3 人の高貴な王子の 1 人であったことが記録されています[2]。長男の西への遠征中、メリクとカダンは一緒にハンガリーの国を征服するために出発し、3回の戦いの末に打ち破りました。 『モンゴル人の秘密の歴史』の第 270 章で、彼はトランシルヴァニア (現在のルーマニア) のハンガリー人について言及しています。[3]

概要

『集史』「オゴデイ・カアン紀」によると、メリクはカダアン・オグルと同様にオゴデイ・カアンとエルゲネとの間に生まれ、オゴデイのオルドでダーネシュマンド・ハージブに育てられたという[4]

メリクの息子に関する記述は史書ごとに相違があり、まず『集史』はトゥマン、トガン・ブカ、トガンチャル、トガン、トルチャン、クトゥルグ・トグミシュら6人がいたと記すが、『五族譜』はこれにアブドゥッラー、トクらを加えて11人の息子がいたとする。一方、『元史』「宗室世系表」ではメリクの息子がトク(脱忽)、その息子がアブドゥッラー(俺都剌)、その息子がトゥマン(禿満)だとする。

『元史』の記述に従えばトク〜トゥマンの三代が僅か20年で代替わりしたことになり不自然なため、トゥマン、アブドゥッラー、トクを兄弟関係にあるとする『五族譜』の記述が正しいと考えられている[5]

メリク家は元朝の宮廷におけるオゲデイ家の代弁者となった。

メリク家の動向

メリクの兄のグユク・カンが亡くなり、トルイ家のモンケ・カアンが即位すると、モンケは対立関係にあったオゴデイ家を弾圧し、オゴデイ・ウルスを細分化してオゴデイ家諸王に再分配した。この時にメリクはオゴデイの初封地であるイルティシュ川流域を与えられ[6]、これ以後イルティシュ川流域一帯はメリク家の遊牧地となった。

モンケ・カアンの弾圧によって弱体化していたオゴデイ・ウルスであったが、カシン家のカイドゥが台頭してきたことで再び勢力を拡大させるようになった。至元17年(1280年)、「シリギの乱」が勃発した際にはメリク家のトク大王が元の叛乱鎮圧軍に対して中立を宣言したが、後にシリギらと通謀していることが明らかになり、討伐を受けるという事件が起きている[7]。この後メリク家はカイドゥ・ウルスに合流し、頭首位はアブドゥッラー大王を経てトゥマンに移った。しかしトゥマンの時代にカイドゥが亡くなってカイドゥ・ウルスは瓦解し、トゥマンは他の諸王とともに大元ウルスに投降せざるをえなくなった。

投降したトゥマンに対し、大元ウルスは「陽翟王」という王号を授け、イルティシュ河流域におけるメリク・ウルスの存続を認めた。メリク・ウルスはオゴデイ・ウルスの中でも比較的大勢力で、元末にメリク家のアルグ・テムルは「数十万」の兵を率いて叛乱を起こしたことが記録されている。

メリク王家

脚注

  1. ^ 识刻的灭里大王:窝阔台汗庶子,紧抱拖雷系大腿,承直到元末”. baidu.com. Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
  2. ^ 识刻的灭里大王:窝阔台汗庶子,紧抱拖雷系大腿,承直到元末”. baidu.com. Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
  3. ^ モンゴルの秘密の歴史の第 270 章
  4. ^ 松田1996,32頁
  5. ^ 村岡1992,32-33頁
  6. ^ 『元史』巻3憲宗本紀「二年壬子……夏、駐蹕和林。分遷諸王于各所、各丹于別失八里地、蔑里于葉児的石河、海都于海押立地、別児哥于曲児只地、脱脱于葉密立地、蒙哥都及太宗皇后乞里吉忽帖尼于拡端所居地之西。仍以太宗諸后妃家貲分賜親王」
  7. ^ 村岡1992,32頁

参考文献

  • 杉山正明『モンゴル帝国と大元ウルス』京都大学学術出版会、2004年
  • 松田孝一「オゴデイ諸子ウルスの系譜と継承」 『ペルシア語古写本史料精査によるモンゴル帝国の諸王家に関する総合的研究』、1996年
  • 村岡倫「オゴデイ=ウルスの分立」『東洋史苑』39号、1992年
  • 新元史』巻111列伝8

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