メリク家の動向
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/13 05:30 UTC 版)
「メリク (オゴデイ家)」の記事における「メリク家の動向」の解説
メリクの兄グユク・カンが亡くなり、トゥルイ家のモンケ・カアンが即位すると、モンケは対立関係にあったオゴデイ家を弾圧し、オゴデイ・ウルスを細分化してオゴデイ家諸王に再分配した。この時にメリクはオゴデイの初封地であるイルティシュ川流域を与えられ、これ以後イルティシュ河流域一帯はメリク家の遊牧地となった。 モンケ・カアンの弾圧によって弱体化していたオゴデイ・ウルスであったが、カシン家のカイドゥが台頭してきたことで再び勢力を拡大させるようになった。至元17年(1280年)、「シリギの乱」が勃発した際にはメリク家のトク大王が元の叛乱鎮圧軍に対して中立を宣言したが、後にシリギらと通謀していることが明らかになり、討伐を受けるという事件が起きている。この後メリク家はカイドゥ・ウルスに合流し、頭首位はアブドゥッラー大王を経てトゥマンに移った。しかしトゥマンの時代にカイドゥが亡くなってカイドゥ・ウルスは瓦解し、トゥマンは他の諸王とともに大元ウルスに投降せざるをえなくなった。 投降したトゥマンに対し、大元ウルスは「陽翟王」という王号を授け、イルティシュ河流域におけるメリク・ウルスの存続を認めた。メリク・ウルスはオゴデイ・ウルスの中でも比較的大勢力で、元末にメリク家のアルグ・テムルは「数十万」の兵を率いて叛乱を起こしたことが記録されている。
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