文化史家フリーデル
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「エゴン・フリーデル」の記事における「文化史家フリーデル」の解説
かつてはアルテンベルクと二人組を組んでの市中の徘徊によって、ウィーンの人々からはダンディーな洒落者として知られていたフリーデルであったが、彼は同時に大の読書家でもあり、博学な文化史家としても多大な足跡を残している。 1920年代初頭、フリーデルは、14世紀以後の西洋の精神史をあざやかに分析した大作『近代文化史』(3巻、刊行1927年 - 1932年)を著している。そのなかでフリーデルはこう述べている。 人びとがかつて考案した分類はすべて任意で人為的で誤りである。しかし、それに対する単純な反発は、さらにそれらが私たちの思考の固有の様相と一致するので、そのような分類が有用で不可欠で、とりわけ避けられないことを示すのである。... 『近代文化史』は、1925年に出版者ヘルマン・ウルスタイン(ドイツ語版)が第1巻を受け取ったが、俳優年代記の編集方法に疑念をさしいれている。また、他の出版者5人も続いて出版を拒絶した。最終的には1927年にミュンヘンでC. H. ベック出版(ドイツ語版)より出版された。こうした経緯があったものの、『近代文化史』は今日では洞察に富む名著として知られている。 そこでは、ルネサンスの時代から第一次世界大戦までの文化史をキリスト教的視野でとらえ、英雄的な文人・芸術家・思想家がしばしば讃えられている。例えば、フリーデルは哲学者フリードリヒ・ニーチェについて、「ニーチェこそ西欧の、最後の大きな信仰の声なのだ。ニーチェを最後の教父と呼んでよかろう」と述べ、フランツ・シューベルトについては、グリム兄弟がメルヒェン(ドイツ童話)を創造したのと同じ意味で、民謡を高度なものに引き上げ、他の最高の芸術形式と肩をならべうるものにしたと、その偉業を讃えている。 彼を知る人は、当時、この本に驚愕した。幅広い視野と浩瀚な内容、数々の挿話、各章の魅力的な見出しなど、数年前に刊行されたオズヴァルト・シュペングラー『西洋の没落』(1922年)やそれに先立つヘルマン・カイザーリンク(ドイツ語版)の『ある哲学者の旅日記』(1919年)と同様、1930年代初頭の読書界話題をさらったのである。フリーデルの判断を退けた学者がいたとしても、その視野の広さは誰とても否定しえなかった。
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