文化史家フリーデルとは? わかりやすく解説

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文化史家フリーデル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/05 06:16 UTC 版)

エゴン・フリーデル」の記事における「文化史家フリーデル」の解説

かつてはアルテンベルク二人組組んで市中徘徊によって、ウィーンの人々からはダンディー洒落者として知られていたフリーデルであったが、彼は同時に大の読書家でもあり、博学な文化史家としても多大な足跡残している。 1920年代初頭フリーデルは、14世紀以後西洋精神史あざやかに分析した大作近代文化史』(3巻刊行1927年 - 1932年)を著している。そのなかでフリーデルはこう述べている。 人びとがかつて考案した分類はすべて任意人為的誤りである。しかし、それに対す単純な反発は、さらにそれらが私たち思考固有の様相一致するので、そのような分類有用不可欠で、とりわけ避けられないことを示すのである。... 『近代文化史』は、1925年出版者ヘルマン・ウルスタイン(ドイツ語版)が第1巻受け取ったが、俳優年代記編集方法疑念さしいれている。また、他の出版者5人も続いて出版拒絶した最終的に1927年ミュンヘンC. H. ベック出版ドイツ語版)より出版された。こうした経緯があったものの、『近代文化史』は今日では洞察に富む名著として知られている。 そこでは、ルネサンス時代から第一次世界大戦までの文化史キリスト教視野でとらえ、英雄的な文人芸術家思想家がしばしば讃えられている。例えば、フリーデル哲学者フリードリヒ・ニーチェについて、「ニーチェこそ西欧の、最後大きな信仰の声なのだ。ニーチェ最後教父呼んでよかろう」と述べフランツ・シューベルトについては、グリム兄弟メルヒェンドイツ童話)を創造したのと同じ意味で、民謡を高度なものに引き上げ、他の最高の芸術形式と肩をならべうるものにしたと、その偉業を讃えている。 彼を知る人は、当時、この本に驚愕した幅広い視野浩瀚内容数々挿話各章魅力的な見出しなど、数年前刊行されオズヴァルト・シュペングラー西洋の没落』(1922年)やそれに先立つヘルマン・カイザーリンク(ドイツ語版)の『ある哲学者旅日記』(1919年)と同様、1930年代初頭読書話題さらったのであるフリーデル判断退けた学者がいたとしても、その視野広さは誰とても否定しえなかった。

※この「文化史家フリーデル」の解説は、「エゴン・フリーデル」の解説の一部です。
「文化史家フリーデル」を含む「エゴン・フリーデル」の記事については、「エゴン・フリーデル」の概要を参照ください。

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