文化史との関連
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 01:20 UTC 版)
少なくとも過去300年間でENSO状態が2-7年間隔で発生しているものの、その大半は振れ幅が弱い。1万年前の完新世初期におけるエルニーニョ現象が強かったとする証拠も存在する。 エルニーニョは、モチェ文化をはじめ先コロンブス期のペルー文化を崩壊に至らせた可能性がある。近年の研究では、1789年から1793年にかけての強大なエルニーニョの影響がヨーロッパで作物収穫の不作を引き起こし、これがフランス革命勃発を助長したと示唆されている。1876-77年のエルニーニョで生じた極端な天候は、19世紀の最も致命的な飢饉の原因となったとされ、1876年の飢饉では中国だけで最大1300万人が死亡した。 気候を指す「エルニーニョ」という用語の記録された最初期の言及は1892年、南へ向かう暖流がクリスマスの頃に最も顕著だったためペルー人船員が「エルニーニョ」と名付けた、とカミロ・カリーリョ海軍大尉がリマでの地理学会会議で語った。この現象はグアノ産業や海洋生物の生物圏に依存する他の事業に及ぼす影響から、長年にわたって関心が寄せられていた。早くも1822年には、フランスのフリゲート艦(La Clorinde)で地図製作をしていたジョセフ・ラルティゲがペルー海岸沿いを南に移動するこの「逆流」とその有用性を指摘した記録が残っている。 1888年にチャールズ・トッドは、インドとオーストラリアの干ばつが同時に起こる傾向があることを示唆した。ノーマン・ロッカーも1904年に同じことを指摘した。1894年にビクトル・エギグレン(1852-1919)、1895年にフェデリコ・アルフォンソ・ペゼット(1859-1929)によって洪水とエルニーニョとの関連が報告された。1924年にギルバート・ウォーカー (ウォーカー循環の由来となった人物) が「南部振動」を造語し、一般的には彼や気象学者ヤコブ・ビヤークネス などがエルニーニョの影響を特定したと評されている。 1982-83年の強大なエルニーニョが科学界からの関心を高めることになった。1991-95年の時期は、複数のエルニーニョがこれほど急に連続発生することが稀であり異例となった。1998年の特に激しいエルニーニョ現象は、世界のサンゴ礁体系の推定16%が死滅する原因となった。この時は通常のエルニーニョ現象における+0.25°C上昇と比較して、一時的に+1.5°Cの温度上昇が起きていた。それ以来、世界規模で大量のサンゴ白化現象が普遍的となり、あらゆる水域が「重度の白化」被害にさらされている。
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