文化史のなかのオクラド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 15:31 UTC 版)
「リザ (キリスト教)」の記事における「文化史のなかのオクラド」の解説
興味深い事実として、18世紀から19世紀にかけてのロシア社会を文化的な側面から眺めると、イコンは必ずしも重要な造形芸術だとは捉えられていなかったことが挙げられる。いまのように礼拝の対象として法外なまでの扱いをうけていたわけではなかった。20世紀のはじめになってやっとボイル油で黒ずんでいたイコンの汚れを落とす作業が始まったことが、状況を変えるきっかけとなった。人々はそれらの作品のもつ美しさに衝撃をうけた。イコン画が文化史に占める意義、そしてそれが現存しているということの意味を知ったのである。 たいていのイコンの美しさは蔽われていた。肖像が黒ずんでいるというだけでなく、イコンをオクラドで飾るという伝統そのものにも理由がある。重要かつ年代の古いイコンであるほど、その美しさを見てとることは困難になる。であればこそ20世紀のはじめごろには、オクラドに明るい人々はそれが何か間違ったものではないかと考えるようになった。 これは、1916年にエヴゲーニー・トゥルベツコイがこういった考えについて述べた文章である。 「 我々の目の前で、イコンは何をつまびらかにしているのだろうか。現代ロシアの文化史において最も重大であり、かつまた最もパラドキシカルな出来事のひとつがそこでは起っているイコンのそばを通る我々は、しかしそれを見てはいない。イコンは豪華な金のオクラドに包まれた黒ずんだ染みとしてそこにある。だが、我々はそういうものとしてしかイコンを認識することができないのだ。そして突然、我々の価値観が一変していることに気づく。イコンを覆う金銀のリザは、16世紀の終わりに発明されたものである。そして何よりイコンの宗教的意味も芸術的意味も損なう、敬虔なる低俗さを証明している作品だ。本質的には、イコンの前にある我々は、無意識のうちにイコノクラスムを行っているようなものなのだ。あるいは、リザにイコンを嵌め込むことで、その画像に眺めいったり、そこにある文字や彩りを見つめることにあるはずの、審美的な行いと特に宗教的な態度との違いをなくしてしまうといってもいい。そしてオクラドが豪華に、贅沢なものになるほど、それが底のみえぬほど世俗的な無理解を曝け出しているだけだということが明らかになる。オクラドは我々とイコンを隔てる不透明な、黄金の障壁であることがわかるだろう。 いま述べたような、つまり黄金や輝くばかりの宝石で覆われたボッティチェルリやラファエロの聖母を想像できるだろうか!? ところが中世ロシアのイコン画という偉大な作品のうえで重ねられた罪はそんなものでは済まないのである。いずれ我々はそれをすっかり悟ることだろう。 いまや我々の眼には、イコンがこれまでどのように捉えられていたのかがすっかり明らかになった。黒い染みが落とされているのである。絶望的なまでにわが国に教養が欠けていようとも、黄金のよろいのどこかには風穴が開いたのである。 」
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