文化哲学期とは? わかりやすく解説

文化哲学期(1974年頃 - 1990年頃まで)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 08:32 UTC 版)

前野佳彦」の記事における「文化哲学期(1974年頃 - 1990年頃まで)」の解説

1974年東京大学法学部中退法曹選択は父の強い希望だったが、葛藤の末、文化哲学目指す。しかし、法学研究その後断続的に続けられ、後の制度論、文明情念論等に生かされることになった1979年東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了1980年 9月から1984年3月まで、当時西ドイツ政府系の奨学金得てシュトゥットガルト大学哲学歴史学部、及びロンドン大学ワールブルク研究所留学ドイツ文化学の俊英ハインツ・シュラッファー教授、さらにイコノロジー国際的権威エルンスト・ゴンブリッヒ教授師事し親しく指導を受ける。この間フィレンツェ中心にイタリア・ルネサンス史跡現地調査繰り返す1984年博士論文 Der Begriff der Kultur bei Warburg, Nietzsche und Burckhardt(『ワールブルクニーチェブルクハルトにおける文化概念』)により、シュトゥットガルト大学哲学歴史学部博士学位(Dr.phil.)取得。シュラッファー教授初め与えたsumma cum laude (mit Auszeichnung) となった。この博士論文翌年ドイツ出版されその後国際的に高い評価得た1986年頃、在野の一私学者として生きる決心固める。その後1990年頃まで、足元日本及び東洋全般文化特性解明目指し大量古典原点漢籍仏典研究書読破1987年に『東洋的専制疎外民衆文化史のための制度批判―』(私家版、毎熊佳彦名義)を上梓

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