文化哲学期(1974年頃 - 1990年頃まで)
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1974年、東京大学法学部を中退。法曹選択は父の強い希望だったが、葛藤の末、文化哲学を目指す。しかし、法学研究はその後も断続的に続けられ、後の制度論、文明情念論等に生かされることになった。1979年、東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。1980年 9月から1984年3月まで、当時の西ドイツ政府系の奨学金を得て、シュトゥットガルト大学哲学歴史学部、及びロンドン大学ワールブルク研究所に留学。ドイツ文化学の俊英ハインツ・シュラッファー教授、さらにイコノロジーの国際的権威エルンスト・ゴンブリッヒ教授に師事し、親しく指導を受ける。この間、フィレンツェを中心にイタリア・ルネサンスの史跡の現地調査を繰り返す。 1984年、博士論文 Der Begriff der Kultur bei Warburg, Nietzsche und Burckhardt(『ワールブルク、ニーチェ、ブルクハルトにおける文化の概念』)により、シュトゥットガルト大学哲学歴史学部博士学位(Dr.phil.)取得。シュラッファー教授が初めて与えたsumma cum laude (mit Auszeichnung) となった。この博士論文は翌年ドイツで出版され、その後国際的に高い評価を得た。 1986年頃、在野の一私学者として生きる決心を固める。その後1990年頃まで、足元の日本及び東洋全般の文化の特性解明を目指して大量の古典原点や漢籍、仏典、研究書を読破。1987年に『東洋的専制と疎外―民衆文化史のための制度批判―』(私家版、毎熊佳彦名義)を上梓。
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