グリム兄弟とは? わかりやすく解説

グリム【Grimm】

読み方:ぐりむ

[一]Jacob〜)[1785〜1863]ドイツ言語学者文献学者[二]の兄。弟とともにグリム童話」「ドイツ語辞典」などを編集また、ドイツ語文法」を著しゲルマン語の子推移法則グリムの法則)をたてた。

[二]Wilhelm〜)[1786〜1859]ドイツ言語学者文献学者[一]の弟。兄とともに編集したもののほかに「ドイツ英雄伝説」などの著書がある。


グリム兄弟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/04 17:56 UTC 版)

グリム兄弟の有名な絵画(左・ヴィルヘルム、右・ヤーコプ)
1847年ダゲレオタイプ(左・ヴィルヘルム、右・ヤーコプ)
ハーナウのグリム兄弟像

グリム兄弟(グリムきょうだい、: Brüder Grimm)は、19世紀ドイツで活躍した言語学者文献学者民話収集家・文学者の兄弟。日本では、『グリム童話集』の編集者として知られる。

同じ両親から生まれた兄弟は全部で9人、幼くして死んだ者を除くと男5人、女1人の6人兄弟であったが、通常は後世にまで名を残した次男ヤーコプと三男ヴィルヘルムの二人を指す(今日では後述の六男ルートヴィッヒも含むこともある)。

多くをヤーコプとヴィルヘルムの兄弟として活躍したが、グリム童話集ではルートヴィヒも挿し絵を手がけている。

来歴

ハーナウに生まれる。父は法律家のフィリップ・ヴィルヘルム・グリム(1751年 - 1796年)で、シュタイナウの伯爵領管理官兼司法官であった。

兄弟は裕福な家庭に生まれたが、1796年に父親が肺炎で死去し、困窮に陥った。しかし、母方の伯母ヘンリエッテ・ツィマーの援助により、ヤーコプとヴィルヘルムの二人は、ギムナジウムに入学し、首席で卒業、マールブルク大学法学部に進学した。大学で、新進の法学者フリードリヒ・カール・フォン・ザヴィニー教授の影響を受け、ドイツの古文学や民間伝承の研究に目を向けるようになった。

ゲッティンゲン七教授事件

ヤーコプとヴィルヘルムはともにゲッティンゲン大学の教授だったが、1837年 5 人の教授とともにハノーファー国王エルンスト・アウグストの違法行為(既存憲法に対する国王の不法な侵害)に対して抗議文を提出し、国王によって罷免された[1]。「ゲッティンゲンの七人事件」(Göttinger Sieben)とも呼ばれる。

1840年に兄はベルリン大学教授となるが、弟ヴィルヘルムは同じくベルリンで、より自由な立場で著述活動を行った。多くを兄弟として活躍し、『グリム童話集』の編集者として著名である。また、ゲルマン語の研究者としてもしられ、比較言語学を生み出した「グリムの法則」でも知られている。

ヤーコプ・グリム

左からヘルマン・グリム、ルードルフ・グリム、ヴィルヘルム・グリム、ヤーコプ・グリムの墓

ヤーコプ・ルートヴィヒ・カール・グリムドイツ語: Jacob Ludwig Karl Grimm1785年1月4日 - 1863年9月20日)は、グリム兄弟の長兄[2]法制史・ゲルマン語研究で名を成し、1819年から1834年にかけて発行された『ドイツ語文法』で知られる。この中の子音の推移についての法則性は、「グリムの法則」と呼ばれている。なお、ドイツ語の習得に欠かせない概念であるウムラウトや強変化・弱変化もヤーコプの造語である。

大学卒業前の1805年にサヴィニー教授の招きを受け、パリで法政史研究の助手として働く。1806年にドイツに戻ってきたが、今度はナポレオン戦争の後始末で、公設秘書として各国を飛び回り、ウィーン会議にも出席している。その後、『ドイツ語文法』を1819年から1834年にかけて発行。途中、1829年、弟とともにゲッティンゲン大学に呼ばれ、司書官兼教授として教鞭を執った。1835年、『ドイツ神話学』を刊行し、ドイツ人にも忘れ去られていた妖精や神々の神話・伝説[3]を書物に残した。評議員にも選ばれ、宮中顧問官の称号を受けるなど大学でも彼は高く評価された。

しかし1837年、「ゲッティンゲン七教授事件」(前述)で失職し、亡命先のカッセルで、自分たちの主張をまとめた弁明書『彼の免職について』を発表、スイスのバーゼルで発刊された。兄弟は、失職の身のままドイツ語辞典の編纂にあたったが、1840年プロイセンの国王がフリードリヒ・ヴィルヘルム4世に代わると、兄弟はベルリン大学の教授として迎えられた。1842年、ザヴィニーや歴史学者ランケと共に国家勲章プール・ル・メリトを与えられた。1846年のフランクフルトで開催されたドイツ文学者会議では、ヤーコプは満場一致で議長に選出された。また、1847年フランクフルト国民議会でも代議員に選出され、憲法草案を提示している。

生涯を独身で過ごし、ヴィルヘルムが結婚してからは、ヴィルヘルム夫婦とともに暮らした。

ヴィルヘルム・グリム

ヴィルヘルム・カール・グリムドイツ語: Wilhelm Karl Grimm1786年2月24日 - 1859年12月16日)はグリム兄弟の次兄。グリム童話の第二版以降の改訂は、ほぼ彼の手によっている。

ヴィルヘルムは、あまり体が丈夫でなかったこともあり、政治的にも目立った活躍をした兄と違い、身体をいたわりながら地道に研究を続けた。社交的な性格であったこともあり、兄弟はそれぞれの違いを認めつつ、よく補い合って活躍したと言われている。

大学を卒業後、しばらくは病身のため職に就けなかったが、1814年、カッセル大公の図書館書記となる。1825年、幼なじみのドルトヒェン・ヴィルトと結婚し、3人の子を成した。1829年、兄ヤーコプと共にゲッティンゲン大学に呼ばれ、教鞭を執った(正確には、この時点では司書、翌年から司書官兼助教授、4年後から司書官兼教授となった)。1834年、処世訓集『フライダンクの分別集』を復刻。1837年、「ゲッティンゲン七教授事件」(前述)で失職した。グリム兄弟は、失職の身のままドイツ語辞典の編纂にあたったが、1840年プロイセンの国王がフリードリヒ・ヴィルヘルム4世にかわると、兄弟はベルリン大学の教授として迎えられた。

ルートヴィヒ・グリム

ルートヴィヒ・エーミール・グリムドイツ語: Ludwig Emil Grimm1790年3月14日 - 1863年4月4日)は、グリム兄弟の末弟。兄たちと違い、大学までは進学できなかったが、カッセルの美術学校の教授をつとめるなど、画家として一定の評価を得ている。もともとグリムファンたちの間でしか知られない存在であったが、第二次大戦後、一般にも知られるようになった。

フェルディナント・フィリップ・グリム

もう一人の弟フェルディナント・フィリップ(Ferdinand Philipp; 1788 - 1845)も童話・伝説を収集し、兄たちとは別に作品を発表したものの長く忘れられていた。2020年にいたってHeiner BoehnckeとHans Sarkowiczによって見直され、Der fremde Ferdinand: Märchen und Sagen des unbekannten Grimm-Bruders(見知らぬフェルディナント:グリムの知られざる弟の童話と伝説)の題でベルリンの Die Andere Bibliothek から公刊された(ISBN 978-3-8477-0428-7[4]。 


参考文献

脚注

  1. ^ 坂井栄八郎『ドイツ歴史の旅』朝日新聞社朝日選書312)、増補版1997年。(ISBN 4-02-259412-8)196-202頁、特に 198-200 頁。
  2. ^ 正確には生後わずか三ヶ月あまりで亡くなった兄フリードリヒが上にいるので次男だが、これを除いて長男とされていることも多い。
  3. ^ 新訳に『グリム ドイツ伝説集』(吉田孝夫訳、八坂書房、2021年)
  4. ^ Rezension von Matthias Heine: Der geheime Bruder Grimm. Die Welt28.11.2020, S. 27.

関連項目

外部リンク

ウィキソースには、グリム兄弟の作品の日本語訳の原文があります。


グリム兄弟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/29 15:13 UTC 版)

くるみと七人のこびとたち」の記事における「グリム兄弟」の解説

ヤーコプ・グリムヴィルヘルム・グリム童話への功績を「お上」に認められ、メルヘンランドの番人をしている。くるみに目的地不幸になっている童話主人公居場所)を教え地図と、物語修正した後再び狂わされないよう封印するためのペンダント与える。

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「グリム兄弟」を含む「くるみと七人のこびとたち」の記事については、「くるみと七人のこびとたち」の概要を参照ください。

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