グリム堤
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/19 20:18 UTC 版)
スコットランドの年代記のような中世の歴史書では、アントニヌスの長城は「グリム堤」と呼ばれている。年代記ではこれを、ファーカーの伝説にあるエウゲニウス王の父祖に由来する名称としている。この名前は長城の東端であるボーネス付近の名家グラハム一族と関連付けられ、「グラハム堤」という呼称に変化していった。 これはイングランドの初期型の土塁(サウス・オクスフォードシャーのウォリングフォード近郊やバークハムステッドからブラーデンハムに見られる)が「グリムの堀割」といわれるのと同じものであろう。 「グリム」とは古代ゲルマンの伝説で極めて短期間で壮大な治水事業を成し遂げたといわれるオーディンやウォードの別名であると思われている。考古学者は普通、グラハム堤をアントニヌス・ピウス帝にちなんで「ピウスの長城」、または「アントニヌス」の土塁と呼ぶ。スコットランドの文献ではグリムは「ギリック」の変形ともいう。ギリックとは9世紀後半に中世を代表する数々の偉大な軍事的成功を収めたとされる(実在ははっきりしないが)ギリック・マック・ダンゲイル王のことだという。
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