軍事的成功
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/10 18:26 UTC 版)
「3世紀の危機」において皇帝が直面した問題は、自身が軍隊の指揮できる場所は、常に国境周辺の一箇所に限られるというものであった。アウレリアヌス帝やプロブス帝は何千マイルもの距離も厭わず軍隊を引き連れて戦地間を移動したが、この方策は理想的とはいえなかった。また、皇帝が不在の地域で次位の将軍に権限を委任することもあったが、これには戦いに勝利した将軍がそのまま皇帝を名乗って敵対するという危険性があり、時にこれは現実となった。 テトラルキアでは、2人が正帝で2人が副帝とはいうものの、帝位を持つ4人の役割と権限は同じで、基本的に同じ地位にあった。デュアルキア(2分割支配)とテトラルキアでは、問題地域の近くに常時1人は皇帝がいるため、国境周辺の一領域に限らず、同時に複数箇所で皇帝自身が軍を指揮できるようになった。これにより、重要な軍事的成功を収めることができた。3世紀には、ローマはペルシアに敗北を重ねており、296年にも敗北したが、298年にはガレリウス帝が逆転してナルセ1世率いるペルシア軍を撃破した。この戦勝ではナルセの一族を捕虜とし、相当な量の戦利品を獲得したうえ、かなり有利な和平条約の締結に成功して、その後数10年にわたる平和をもたらした。同様に、コンスタンティウス帝もブリタンニアにて帝位を簒奪したアレクトゥス(Allectus)を破り、マクシミアヌス帝はガリアを平定し、ディオクレティアヌス帝はエジプトにてドミティウス・ドミティアヌス(Domitius Domitianus)の反乱を打ち破った。
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