オリュントス戦争から死まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/09 15:11 UTC 版)
「アゲシポリス1世」の記事における「オリュントス戦争から死まで」の解説
紀元前382年の初め、スパルタにマケドニア王国のアミュンタス3世からオリュントスに対する戦いへの協力を頼まれ、トラキアへの勢力拡大を目論んでいたスパルタはそれを引き受けた。当初戦いはあまりうまくいかなかったが、第二次遠征(紀元前381年)の敗北とテレウティアスの死後アゲシポリスが軍の指揮を執った。紀元前380年に彼はマケドニアを経由してオリュントスへ向い、オリュントスの領土を荒らしまわった。しかし、軍事的成功の最中彼は熱病を患い、その七日後、彼はパレネ半島のアピュティスで死んだ。彼の遺体は保存のために蜜を塗られて埋葬のためにスパルタへと輸送された。 アゲシポリスの同盟諸国への寛容な政策はアゲシラオス進出的で攻撃的な政策とは正反対であったが、彼はアゲシラオス親しく付き合い、年長として誠実に尊重した。王位は弟のクレオンブロトスが継いだ。
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