クリバナリウス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 06:20 UTC 版)
軍馬の前方のみに装甲を施した騎兵をカタフラクトと呼んだのに対して、軍馬全体に装甲を施した超重装騎兵ともいうべき重騎兵はクリバナリウス(ラテン語: CLIBANARIUS)と呼ばれた。見た目の印象から「パン焼き釜」(ラテン語:CLIBANUS)に由来する。ローマと戦ったオリエント諸国でも装備の度合いによってカタフラクトとクリバナリウスに分別したが、ローマとは逆でより重装備の騎兵の方がカタフラクトだった。 馬だけでなく乗り手もより重装備で、例えばより露出度の少ない兜を付け、鎖帷子を金属板で補強するなどしていた。当然の事ながら配備と維持がカタフラクトよりも難しいためにそれ程多く編成されず、一時期は全く編成されなかった。 重装備であるから同じく重装騎兵が主力のペルシャやパルミュラなどには大きな成果を上げることができたが、軽装騎兵が主力のイスラム勢力に対してはあまり有効な戦力にはならないこともあったと考えられる。例えば重装備の人馬が一体となった騎槍による突撃は確かに敵に対して強力な打撃となったが、白兵戦となると重装備故に機敏に動けず、逆にその槍をつかまれれば身動きが取れなくなり、不利な状況に陥るからである。また、射騎戦においても通常の弓騎兵が行うような射撃と機動力を十分に活かした戦術を取ることは不可能だった。 10世紀のニケフォロス2世フォカスの時代にクリバノフォロス(ギリシア語: κριβαναριοσ)という名で再度登場し、その後のヨハネス1世ツィミスケスの治世では東ローマ領へ侵攻してきたキエフ大公スヴャトスラフ1世の軍勢を打ち破るなどの成果につながった。クリバノフォロスは戦場では10-12列の縦深を持つくさび型の陣形に整列し、その衝撃力で敵陣に打撃を加え、突破あるいは殲滅する役割を担った。10世紀後半-11世紀前半の東ローマ帝国の軍事的成功を支えたが1071年のマンツィケルトの戦いでの敗北以降は編成されなくなったと見られる。
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