重騎兵とは? わかりやすく解説

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重騎兵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/21 14:03 UTC 版)

オスマン帝国マムルーク重騎兵(1550年頃)
パリを行進するフランスの重騎兵隊(1914年8月)

重騎兵(じゅうきへい、heavy cavalry)は、で重武装した騎兵である。

歴史

古代

古代の農耕社会における戦場の主役は重装歩兵であった。騎兵も重要な存在ではあったが、偵察追撃といった機動力(移動の速さ)を生かした戦術に用いられることが多かった。当時は馬具が未発達であり、に乗りなれない人間には重い鎧をまとって馬上で戦うことが難しかったためである。ただし、元来牧畜の民が多かったマケドニア王国ヘタイロイなど突撃力を生かす運用をされた騎兵も存在した、また遊牧民であるスキタイ匈奴には重装備で身を固め、馬鎧を付けて突撃する重装騎兵が存在していた。カルタゴハンニバルローマスキピオカエサルなどは、その機動力を活かして翼から包囲する戦法を用いて、勝敗の決定打とした。

4世紀の中国でが発明されたことによって、重装備を装着しながらの騎乗が可能になり、馬上での戦いも行いやすくなったため、突撃力を重視する重騎兵の役割が増した。

中世

中国における南北朝時代の北朝やの他、西夏といった周辺異民族の王朝では軽騎兵よりも金属鎧を着込み馬に馬鎧を付けて突撃を行う重騎兵(鉄騎)が重要な地位を占めた。東ローマ帝国でも馬にも甲冑を帯びたカタフラクトが軍の主力となった。モンゴル軍や、初期イスラム帝国からオスマン帝国を通してのアラブ・ペルシャ諸国家は、軽騎兵による騎射と重騎兵による突撃を巧みに使い分けた。

ユーラシアでは主に遊牧民から構成された突厥やモンゴル、ティムール朝オスマン帝国などが、軽騎兵による騎射と重装備を施された重騎兵による突撃を駆使して、東西に広がる広大な版図を征服した。ヨーロッパでもレヒフェルトの戦いにおいて重装備の騎士の軍が数で倍する軽騎兵で構成されたマジャール人の軍を打ち破るなど、重騎兵が大きな力を発揮し軍事上重要な地位を占めた。百年戦争後期フランスの騎士などは非常に重い馬鎧を馬に着せたため頑強な防御力を誇ったが、その分機動力が低下したため、アジャンクールの戦いでは射程のあるロングボウの連射により次々と討たれたと言われる。

近世

近世に入ると、ヨーロッパでは火器の発達により重装の槍騎兵は廃れたが、自らも火器を活用するようになった騎兵は依然として一線で活躍した。スペインとポーランドを除いた諸国では16世紀末までに騎兵はピストルとサーベルを装備することになった[1]。なお、16世紀半ばからスペインは騎兵に小銃を装備させていた。例外的にポーランドのフサリアは当初は軽騎兵であったが、16世紀にはランスで突撃を行う重騎兵に発展し、18世紀まで活躍した。

近世の重騎兵の主流は胸甲(キュイラス)を身にまとった胸甲騎兵(cuirassier)であった。胸甲騎兵は崩れかけた敵陣を突撃によって粉砕するといった役割を負った。突撃を銃で支援する火縄銃騎兵やカービン(騎兵銃)騎兵と言った騎兵も存在した。このころグスタフ・アドルフフリードリヒ大王らによって、歩兵砲兵と組み合わせる近代的な騎兵の運用方法が工夫された。

近代から現代

19世紀はじめのナポレオン戦争期にはナポレオン・ボナパルト率いる大陸軍が騎兵による集団突撃を重視したため、重騎兵が活躍した。大陸軍の重騎兵には胸甲騎兵の他カービン騎兵(仏Carabiniers-à-Cheval)等も存在しそれぞれ騎兵連隊に編成されていた。

近代以降、戦場における火器の進化により装甲が用をなさなくなったこともあり、重騎兵は軽騎兵に吸収される形で次第に消滅した。胸甲騎兵など各種の重騎兵が最後に活躍したのはクリミア戦争普仏戦争と言われている。なお、ヨーロッパでは普仏戦争以降、第一次世界大戦まで、大規模な戦争はない。また19世紀以降、銃器のライフリングが普及すると背の高い騎兵は格好の狙撃の的となるため、機動力を利用しての偵察や奇襲、後方撹乱などでの運用が中心となった。第一次世界大戦まではかろうじて存在したが、その後は徐々に戦場から姿を消した。また同じ頃から、機械化、中でも航空機戦車の導入が進んだことにより、第二次世界大戦後は騎兵そのものが消滅した。

胸甲騎兵など重騎兵の名称は、かつて重騎兵が担っていた機動力およびその高速力を生かした敵中への突破を任務とする戦車をはじめとする機甲部隊や空中機動部隊の伝統名称として、現在でも一部の部隊で用いられている。

出典

  1. ^ 学研 歴史群像グラフィック戦史シリーズ 戦略戦術兵器事典3 ヨーロッパ近代編p80

関連項目


重騎兵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 05:10 UTC 版)

大陸軍 (フランス)」の記事における「重騎兵」の解説

胸甲騎兵(Cuirassiers) 胸甲騎兵中世騎士如く重い真鍮鉄製の兜に胴体を包む胸当てと背当て組み合わせの胴鎧(胸甲)を着け斬撃出来るが、刺突により向いており、統制のとれた突撃では切っ先使って刺突する事が多かった長くて重い直刀サーベルサーベル騎兵主要武器であり、その形状兵科により様々であり、重騎兵は長くて重い直刀サーベル好み軽騎兵軽量の曲刀型サーベル好んだ)と1対の拳銃カービン銃武装していたが、ほとんどの胸甲騎兵はすぐに騎銃を持たなくなったフランス胸甲騎兵ナポレオン時代最強の重騎兵であり、彼らは戦場ではほぼ無敵であり、アイラウボロジノの戦いでその真価見せつけた。戦場ではほぼ激突攻撃だけに用いられ突撃任務において特別な能力持っていたが、自前ピストル使用した散兵戦ある程度行えた。1812年装備改定にて胸甲騎兵カービン銃装備するようになった。兜と胸甲は銃弾サーベル騎兵対す十分な防御効果持っていた。また、彼らは敵の前進対す効果的な反撃部隊としても使う事ができ、もし彼らが縦隊横隊歩兵発見し側面背後襲撃する事が出来れば、重騎兵が隊列突進して歩兵斬る、馬の蹄で踏みつけるといった攻撃で、敵を壊滅させられた。当初25連隊あり後に18連隊となった騎士同様にこの部隊騎兵突撃部隊だった。彼らの着けている甲冑武器重量のために、騎手も馬も大きくて強い必要があり、その結果戦闘時には大きな効果生み出した胸甲騎兵精鋭としての自覚持ち多数竜騎兵を含む騎兵予備部隊中核をなし、予備騎兵勝敗決する決定的な時期にのみ、熟慮の末に投入され、大集団運用された。重騎兵は戦場でその能力証明し、敵に強い印象残した。特にイギリス軍胸甲騎兵ナポレオン近衛騎兵だと誤って信じ込みその特徴ある胸甲や兜を自軍Horse Guards)にも採用しようとした。 ナポレオン胸甲騎兵運用思想は、敵を総崩れさせられる地点戦場で見つけ、騎兵突撃圧倒的な威力投入するというものだった理論上騎兵突撃開始前砲兵準備砲撃実施しておき、砲撃弱体化した敵に速度徐々に上げた騎兵突入するになっていた。速歩から始まる胸甲騎兵突撃は、やがて駆歩へと速度速め、そして敵陣から150m位置迫った時に襲歩へと移行し始め最後の50mは全速力疾走する事になる。だが、現実にはフランス軍司令官胸甲騎兵密集隊形とらせるのを好んだために、理論通り急激な速度変更難しかった司令官たちは胸甲騎兵大群緊密な隊形組み将兵ブーツ同士触れるほどになるように命じたが、密集陣形維持するのは難しく実際に速度上げるのは不可能であり、当然のことながら、個々騎兵自主性発揮する機会奪われた。しかし、このような運用により、胸甲騎兵部隊前進阻止するのはほぼ不可能になり、敵騎兵の隊列崩し緊密な陣形組めない歩兵を蹄とサーベル粉砕できるようになった。だが、それでも胸甲騎兵は、銃剣装着した歩兵緊密な方陣例えば、ワーテルローの戦い見られたようなものを突破できる戦術持たずまた、密集隊形での突撃照準的確に行う敵砲兵に対して脆弱性をさらす事にもなった。しかし、カトル・ブラの戦いその後ワーテルローの戦いで、フランス胸甲騎兵突撃持ちこたえた強靭なイギリス方陣イメージ全ての歩兵大隊方陣を組むべきで、方陣騎兵攻撃に耐えられるという誤った印象与えるが、これは間違った考え方であり、ナポレオン戦争時のイギリス歩兵は、当時最強歩兵であり、彼らの士気訓練他に類を見ないもので、実際にナポレオン戦争ではフランス騎兵同盟国側騎兵歩兵方陣崩しており、単にある隊形を組むだけでは騎兵突撃撃退する事は出来ず頑健な精神並外れた訓練冷静な勇気なければ押し寄せてくる重騎兵の攻撃前にして、歩兵方陣断固として持ちこたえる事は出来ない。その全てがあっても部隊圧倒される事もあり、イギリス歩兵カトル・ブラワーテルロー成し遂げた事はとてつもない偉業である。 この時代多くそれぞれ侮りがたい騎兵部隊保持しており、フランス革命戦争では列強騎兵はほぼ互角だったが、ナポレオン1805年征服戦役大陸軍立ち上げると、フランス騎兵世界最強存在となり、なかでも胸甲騎兵ナポレオン戦争において支配的な部隊であり、イギリスのスコッツ・グレイズ(第二竜騎兵連隊)やロシア近衛騎兵など同様の力量がある精鋭部隊他国にもあったが、全体として見ると1800年から1812年までのフランス重騎兵は無類存在だった。しかし、ロシア戦役においてフランス騎兵部隊崩壊しその後1813年1814年戦役ではフランス騎兵以前様に交戦相手支配する事が出来なかった。オーストリア軍ロシア軍プロイセン軍にも胸甲騎兵連隊はあったが、彼らはフランス胸甲騎兵技量豪胆さにはとても太刀打ち出来ず、いつも負かされており、実のところ同盟軍多く騎兵は、重さと鞍の上での動き問題があるという理由で、胸甲廃止すらしており、1809年までにオーストリア軍胴体の前だけ覆いがあり、脇と背中そのままの半胸甲胸甲騎兵支給し始めており、この半胸甲胸甲騎兵軽量化し、戦役における馬の負担減らしたが、フランス重騎兵との混戦では攻撃されやすくもなった。ナポレオン胸甲騎兵について以下の言葉を残している。 「胸甲騎兵は他の全ての騎兵よりはるかに役に立つ。この兵科は……十分に教育する必要がある胸甲騎兵こそ、馬に乗る兵の知識が最高度に達してなければならないのだ」 重騎兵でも軽騎兵でも力点置かれるのは激突戦術で、火器サーベルに次ぐ補助的な武器であり、ほとんどの騎兵拳銃携帯しており、中には騎銃を持つ者もおり、重騎兵は敵の方陣攻撃する時によく拳銃使い、それは決着着け武器ではなく、敵に苛立ち起こす武器であった攻撃する騎兵は常に動いているために、一度拳銃発射した襲歩駆けている騎兵再装填する事はほぼ不可能であり、拳銃騎兵同士混戦でも使う事が出来たが、接戦においては常に、誤射可能性高く精度の低い単発拳銃よりサーベルが好ましかったまた、ナポレオン戦争が進むにつれ、騎銃騎兵武器の中で重要度増していった。 竜騎兵Dragons) 重騎兵とも思われていたが、竜騎兵槍騎兵オーストリア軍プロイセン軍ウーラン)は重騎兵と軽騎兵混合であり、竜騎兵胸甲騎兵の様な防具を身に着けていなかったために、銃弾掻い潜りながら、突撃する任務には適していなかったが、代わりに軽装備で機動性優れており、敵をけん制して隊列を崩す、偵察をこなすなど胸甲騎兵とは別の分野活躍したフランス騎兵で最も数が多かったのが竜騎兵であり、ナポレオン戦争初期には、竜騎兵胸甲騎兵と共に戦果をあげる事が多く、重騎兵の一種補助兵力として機能していた。 彼らは高度に融通が利く存在であり、伝統的な直刀サーベルトレド鋼製のよく切れる3つ刃のもの)だけでなく、拳銃マスケット銃乗馬時には鞍に着けていた)で武装し騎乗だけでなく歩兵のように徒歩でも戦えるようになっていた。その融通性歩兵としての能力よるものであり、剣の腕の方は他の騎兵レベル届いていないことがあったので、冷笑愚弄タネにされた。このパートタイム騎兵適した馬を見つけることも大変であった騎兵欠乏の際にはしばし歩兵士官乗用馬が提供させられたので、ステータスである騎乗断念させられ歩兵将校中には竜騎兵に対して反感を持つ者もいたようである。 当初25連隊、後に30連隊あったが、1815年の「百日」の時はわずか15連隊しかできなかった。 カービン銃騎兵(Carabiniers-à-Cheval) その前身は、フランス国王軍の精鋭騎兵隊である。カービン銃騎兵は、胸甲防御頼らない早い剣さばき技術と、馬上射撃技術伝統部隊であった。もっとも当時ヨーロッパ諸国の重騎兵の多く重量胸甲を身に着けていなかったので、こちらの方が標準である。ナポレオン軍独特の胸甲騎兵無謀な突撃多用していたのに対してカービン銃騎兵馬上射撃分別ある切り込み白兵戦専門にしていた。 1812年ナポレオンは彼らにも胸甲着けるように命令した胸甲着用しないことを誇りにしていた彼らは大い口惜しがったが、ローマ帝国風の金色胸甲着用したカラビニエは、フランス帝国式の銀色胸甲着用するキュラシエとの、ファッション対象をなした。フランス胸甲騎兵騎馬騎銃兵という装甲騎兵はヨーロッパ戦場支配する舞台となり、同盟軍悩みの種となった。重騎兵としてナポレオン自身散兵任務を行わせない様に厳命していたが、騎馬騎銃兵も必要に応じて散兵戦行った

※この「重騎兵」の解説は、「大陸軍 (フランス)」の解説の一部です。
「重騎兵」を含む「大陸軍 (フランス)」の記事については、「大陸軍 (フランス)」の概要を参照ください。

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