大王の平和
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/06 02:08 UTC 版)
「アルタクセルクセス2世」の記事における「大王の平和」の解説
キュロスに従っていたイオニア諸都市はペルシアに反旗を翻し、それに介入してスパルタの将軍ティブロン[要曖昧さ回避]、デルキュリダス、続いてスパルタ王アゲシラオス2世が小アジアに侵攻し、小アジアの太守たちを相手に優勢に戦った。しかしギリシア本土でコリントス戦争が勃発したため、アゲシラオス2世は本国に呼び戻され、軍事的成功にもかかわらず撤退せざるを得なくなった。 アルタクセルクセス2世はギリシアの政局にも深く関わった。コリントス戦争ではスパルタに対抗してアテナイおよびテーバイら反スパルタ同盟側と同盟した。この戦争はスパルタ優位に進んだものの、ペルシア王国による圧力の前に紀元前387年にサルディスで和平条約を結ばざるを得なくなった。「大王の和約」(スパルタの交渉代表アンタルキダスが活躍したため「アンタルキダスの和約」とも呼ばれる)と呼ばれるこの和平条約では、全てのギリシアのポリスは独立し、小アジアやキプロスにおけるペルシアの主権・覇権が確認され、ペルシアに有利な内容であった。一方スパルタは和平の守護者としてギリシアにおける覇権と威信を得るも、間もなくテーバイに代わられることになる。
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