大王の死直後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/12 06:00 UTC 版)
紀元前323年にアレクサンドロスがバビロンで死去した時も、バビロン会議での決定を受けて、太守としてこの地方を統治し続けた。バビロン会議の直後にアンティゴノスは友人であった武将エウメネスにカッパドキア遠征のための援軍を請われた。バビロン会議においてエウメネスは未だに帝国の支配が及んでいないカッパドキアを征服した上で、その太守になることを任じられていたのである。しかし、アンティゴノスはこれを断った(恐らくはエウメネスが小アジアにおける自身のライバルとなることを恐れたため)。結局、エウメネスは帝国摂政の地位にあった実力者ペルディッカスから援軍を受けて遠征した。
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