大王位をめぐる争い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/05 01:02 UTC 版)
クルンタはしかし、タルフンタッシャの支配者であることに飽き足らなかったことは間違いないようである。タルフンタッシャがあったと推測されるコンヤ県のハティップ(Hatip)で、1993年にクルンタが「大王」を名乗っている碑文が発見された。これだけならば彼がその領内で勝手に大王を僭称していたと説明できるのであるが、さらにハットゥシャの発掘でも「大王」を名乗るクルンタの印影が発見された。つまりクルンタがいずれかの時期、何らかの手段でハットゥシャに「ヒッタイトの大王」として君臨したことはほぼ間違いない。クルンタが大王になったのはトゥドハリヤ存命中か、それとも彼が死んでアルヌワンダ3世が即位する前後か、今なお学者間で一致を見ていない。 アルヌワンダを継いで大王となったシュッピルリウマ2世は、タルフンタッシャに対する遠征を行って成功したことを記した碑文をハットゥシャに残している。この碑文にクルンタの名は出てこないので、その当時彼がまだ存命だったか否かは不明であるが、直前に父あるいは兄から大王位を簒奪したクルンタに対する復讐の遠征だったと解釈することも可能である。従来ヒッタイト帝国は「海の民」と呼ばれる外敵の侵入で突如滅亡したと説明されてきたが、クルンタの存在は滅亡直前に国内が内戦状態であったことを示唆しており、従来の説明に再考を求めるものといえる。
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