軍事的成果
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/08 16:37 UTC 版)
この飢餓作戦で出撃したB-29爆撃機は延べ1529機で、投下された機雷の総数は12135個ないし12239個に上った。作戦期間中に機雷で沈没した日本商船は約30万総トン、損傷船も約40万総トンに達したのに対し、アメリカ軍の損害はわずか15機喪失(損耗率1%未満)であった。延べ出撃機数は、日本本土空襲を担当した第21爆撃集団のB-29全体の約5.7 % にとどまり、効率的な作戦だったと評価されている。 飢餓作戦は日本の最後のシーレーンを麻痺させ、瀬戸内海は機帆船などの小型船以外は航行不能となった。特に日本の5大港のうち残存していた大阪港と神戸港が封鎖されたことは、荷役能力を大きく低下させたばかりでなく造船能力も低下させて損傷船の復旧を遅らせた。潜水艦の魚雷攻撃と異なり、機雷では大型船は損傷しても沈没は免れることが多かった。だが、修理設備のある港湾も機雷で封鎖されると修理できずに船腹が減少した。機雷の危険を避けるために沖に出て航行すれば、今度は潜水艦の餌食となった。 朝鮮半島との日本海航路の遮断は満州方面からの雑穀や塩の輸送を妨げ、本土の日本国民を文字通り飢餓状態に陥らせた。食糧事情の悪化は日本政府に暴動の発生を恐れさせるほどであり、飢餓作戦と並行して鉄道網への攻撃が本格的に行われていれば、日本はもっと早期に降伏していたとの見方もある。
※この「軍事的成果」の解説は、「飢餓作戦」の解説の一部です。
「軍事的成果」を含む「飢餓作戦」の記事については、「飢餓作戦」の概要を参照ください。
- 軍事的成果のページへのリンク