マグリブ・アンダルスに進出とは? わかりやすく解説

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マグリブ・アンダルスに進出

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 01:49 UTC 版)

ムワッヒド朝」の記事における「マグリブ・アンダルスに進出」の解説

アルムーミンはアトラス山脈篭ってムラービト朝対す攻撃続け1147年にはマラケシュ占領してムラービト朝滅ぼした。さらにムラービト朝衰退後ムスリムイスラム教徒)の領土へと侵攻していたクリスチャンキリスト教徒)たちとの戦い積極的に乗り出しマラケシュ占領前の1146年イベリア半島散らばる小規模なイスラム国家群(タイファ)の招きに応じてジブラルタル海峡渡り1147年セビリア入城した。この時はセビリア反乱キリスト教諸国レコンキスタなどでアンダルス支配は進まなかったが、徐々にアンダルスマグリブ東部にまで進出ズィール朝ハンマード朝滅ぼしてムワッヒド軍は1159年チュニジアイフリーキヤ)へ進出モロッコからアルジェリアチュニジア南部までマグリブのほとんど全域支配する至った一方でアンダルスにも目を向け1150年サレ対岸アンダルス征服前線基地リバート建設都市計画へと規模拡大してセビリアに次ぐ第2の首都となるラバト作った。そうして準備整えてからアンダルス渡海1153年マラガ、翌1154年グラナダ1157年アルメリア落としていった。しかしムスリムかつタイファ一員ありながらキリスト教勢力味方するイブン・マルダニーシュ(スペイン語版)(通称ローボ王)に阻まれアンダルスはほぼ統一されたが、マルダニーシュの支配地ムルシア・バレンシアは征服出来なかった。アルムーミンは再度アンダルス征服考えた1163年死去息子アブー=ヤアクーブ・ユースフ1世カリフ即位しアンダルス全統一を希求した。 即位以前セビリア統治者務めたアブー=ヤアクーブ・ユースフ1世アンダルス強い関心持ち1171年アンダルス渡海して5年留まりセビリア事実上首都としてモスク宮殿建設行い、全領土統治した。翌1172年にマルダニーシュが死去息子たちから遺領引き渡されたことでアンダルス全統一を果たした。これを契機ユースフ1世更なる征服進めカスティーリャポルトガルレオン遠征したが、ムルシアアルカンタラカセレス平定以外は成果上がらず1176年チュニジア反乱起こったためモロッコ帰国した。それから8年後の1184年アンダルスへ再渡海したユースフ1世ポルトガルの都市サンタレン包囲したが、様々な悪条件重なり包囲中止および撤退となり、ユースフ1世戦傷原因セビリア帰還途中死亡息子ヤアクーブ・マンスールカリフ継いだユースフ1世治下では哲学者イブン・トファイルイブン・ルシュド活躍しアンダルスイスラム文化頂点極めた第3君主ヤアクーブ・マンスール時代ムワッヒド朝最盛期迎え、反カスティーリャレオン王アルフォンソ9世休戦協定を結ぶ一方で1190年1191年2度ポルトガル南部侵攻、シルヴェス・パルメラ・アルカセル・ド・サル・アルマダを奪い取ったチュニジア反乱アンダルス征服中断した1195年アンダルス戻り7月19日のアラルコスの戦いでカスティーリャ王アルフォンソ8世アルフォンソ9世従兄)を破り1196年1197年にも繰り返しアンダルス征服敢行、トレド・マドリードなどアンダルス都市侵略した。また軍事的成果だけでなく外交でも手腕発揮したマンスールレオンナバラ王サンチョ7世同盟を結び、キリスト教諸国分裂させてカスティーリャ窮地追い込んだ。こうしてキリスト教徒によるレコンキスタ防ぎ、東ではリビア西部まで支配下加えてムワッヒド朝最大版図実現したマンスール1199年死去息子ムハンマド・ナースィルが後を継ぎ4代君主となった。 だが、ローマ教皇ケレスティヌス3世和睦工作キリスト教諸国停戦教皇から破門されアルフォンソ9世カスティーリャ和睦せざるを得なかった。窮地脱したアルフォンソ8世1197年マンスール10年休戦協定締結、翌1198年アラゴン王ペドロ2世協力してナバラ侵略1200年ナバラ降伏させ劣勢から立ち直ったマンスール初め休戦を結ぶ気が無かったが、チュニジアが再び反乱起こしたため止む無く締結分裂したキリスト教諸国一気蹴散らす好機逃した。また次第王朝イデオロギーであったタウヒード主義形骸化し宗教的情熱支えられベルベル人軍隊弱体化向かっていった。一方バレアレス諸島マヨルカ島にいたムラービト朝後裔ガーニヤ族がイフリーキヤ介入したり、ハンマード朝残党中央マグリブ奪還図ったため、マンスールはこれらの反乱悩まされモロッコアンダルス行き来する羽目陥った

※この「マグリブ・アンダルスに進出」の解説は、「ムワッヒド朝」の解説の一部です。
「マグリブ・アンダルスに進出」を含む「ムワッヒド朝」の記事については、「ムワッヒド朝」の概要を参照ください。

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