サレ【Salé】
サレ
サレ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/16 10:20 UTC 版)
サレ
ⵙⵍⴰ / سلا
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北緯34度02分 西経6度48分 / 北緯34.033度 西経6.800度 | |
国 | ![]() |
地方 | ラバト=サレ=ケニトラ地方 |
県 | サレ県 |
等時帯 | UTC+1 (CET) |
ウェブサイト | http://www.villedesale.ma/ |
サレ(Salé、アラビア語: سلا、ベルベル語:ⵙⵍⴰ )は、モロッコの都市。
アブールグルグ川右岸に位置し[1]、モロッコの首都ラバトと川を挟んで隣接する。ブー・レグレグ川を挟んで北がサレ、南がラバトであり、この2つの町は双子都市として発展してきた[1]。中世のサレはヨーロッパとの交易の中心地となっていた[2]。
歴史
サレにはじめて住み始めたのはフェニキア人である。「サレ」の名前はローマ人によって建設されたシェッラー(Shella)に由来すると考えられている[1]。
10世紀頃のサレにはズウナート族の独立政権が存在していたが[3]、1058年にムラービト朝に併合された[4]。1140年代にムワッヒド朝の支配下に入り、ムワッヒド朝が衰退した後はマリーン朝の支配下に置かれる。15世紀には、マリーン朝の有力貴族であるワッタース家がサレを本拠地としていた。1609年以降にスペインから亡命したモリスコたちがサレに住み着いて町を拠点とする海賊となり、彼らは「サレの海賊」として恐れられた[4]。1627年ごろに海賊の自治国家(サレ共和国)が成立し、モロッコの王国はサレから税金が納められる限り、海賊行為を黙認していた[3]。
アラウィー朝のムーレイ・イスマーイールは海賊たちを抑えるため、町の近くにアビド(黒人奴隷で構成される親衛隊)を配置した[3][5]。サレの独立性は徐々に低下していき、手工業と宗教活動の町に変わっていった[3]。ブー・レグレグ川の沈泥によって港の使用が不可能になると、サレはラバトのベッドタウンとして機能するようになる[1]。ラバトとは橋や渡し舟で往来することができる。
経済
サレでは手工業が盛んであり、陶工で知られている[1]。ブー・レグレグ川沿いに建つ陶芸センターには、約20軒の工房が入居している[3]。また、サレはモロッコ最大のござの産地でもある[1]。
ほか、製粉、コルクの製造、魚類の缶詰の製造が行われている[2]。
観光

サレにはムワッヒド朝時代の大モスクや、1260年に建設された[3]ムリーサ門が残っている。ムリーサ門はかつて内湾の水門として機能しており、1260年代にはマリーン朝の君主アブー・ユースフ・ヤアクーブによって内湾の岸辺に兵器庫が建設された[6]。現在、陸地となった内湾にはユダヤ教徒の居住区が置かれている[6]。町の正門であるアブー・ハジャ門を初めとして、市街地内の道の中央、脇道の入り口に多くの門が建てられている点に町の特徴がある[6]。
大モスクの裏側にはサレの守護聖人であるシーディー・アブドゥッラー・ブン・ハサンの廟が建立され、祭日には多くの参拝客で賑わう[7]。サレの海賊や冒険者はアブドゥッラー・ブン・ハサン廟を詣でて、航海の安全を祈願したと言われる[3]。また、大モスクには1341年にマリーン朝のアブー・アルハサン・アリーによって建設されたマドラサ(神学校)が隣接しており、建物の芸術性は高く評価されている[7]。アブドゥッラー・ブン・ハサン廟以外に、シーディー・アハメッド・ハッジ廟やシーディー・アハメッド・ブン・アシール廟などの聖者(スーフィー)にまつわる建築物が町に多く存在する。アハメッド・ブン・アシール廟には、精神病の治癒を祈願する参拝客が多く訪れる[3]。
1260年にカスティーリャ王国のアルフォンソ10世によってサレの城壁は破壊され、再度の攻撃に備えて新たに建設された城壁が町を取り囲んでいる[4]。城壁を再建したマリーン朝の王アブー・ユースフ・ヤアクーブは、その内側にマドラサやザーウィヤ(修行者のための修養所)を建設した。
交通
脚注
参考文献
- 飯山陽「サレ」『世界地名大事典 3』 中東・アフリカ、朝倉書店、2012年11月。ISBN 978-4-254-16893-8。
- ガリマール社、同朋舎出版 編、赤井駒子 他 訳『モロッコ 北アフリカ』同朋舎出版〈〈旅する21世紀〉ブック望遠郷〉、1995年3月。 ISBN 978-4-8104-2054-8。
- 那谷敏郎『紀行 モロッコ史』新潮社〈新潮選書〉、1984年3月。 ISBN 978-4-10-600260-1。
- 野沢秀樹「サレ」『世界地名大事典 8』 アジア・アフリカ 3、朝倉書店、1973年。 ISBN 978-4-254-16558-6。
- 吉原俊一 責任編集 編『ミリオーネ全世界事典』 第10巻 アフリカ 1、学習研究社、1980年11月。
外部リンク
「サレ」の例文・使い方・用例・文例
- エルサレムへの巡礼者
- 十字軍戦士はエルサレムを征服したが、また失った。
- 手始めは、三大宗教の聖地、エルサレムを訪れることだった。
- ヨハネの証言はこうである。ユダヤ人達が祭司とレビ人をエルサレムからヨハネのもとに遣わして、あなたは誰ですかと尋ねさせた。
- ユダヤ人の過越の祭りが近づき、イエスはエルサレムに上がられた。
- ローマ支配下のエルサレム.
- 天上の都, 天国 《エルサレム》.
- エルサレムには、特徴的な中東の花がある−カーティス・ウィルキー
- 1145年から1147年までの十字軍で、十字軍の内部争いによって失敗に終わり、それによって1187年にエルサレムを失うことになった
- コンスタンティノープルの戦いに気を取られ、エルサレムを取り戻すことができなかった1202年から1204年までの十字軍
- 1244年エルサレム喪失の後、1248年に始まった十字軍で1249年に敗北した
- エルサレムの神聖な土
- ユダヤ人の崇拝のための主要な中心部として機能したエルサレムの3つの連続した寺院のいずれか
- コンスタンティノープル、アンチオケ、アレキサンドリア、モスクワまたはエルサレムに拠点を置いた東カトリック教徒のいずれの信念と習慣
- バビロニアのバビロンの捕囚の後、エルサレムでユダヤ人の法律と崇拝を再構成する紀元前5世紀のラビの努力について書かれている旧約聖書本
- 紀元前444年の私がリーダーになったアルタクセルクセスの法廷のバビロニアのCaptivityの後にエルサレムを再建しているユダヤ人の職員をどのようにかに言う旧約聖書の本
- 紀元前586年にエルサレムの破壊の後、ユダの荒涼を嘆いている旧約聖書
- エルサレムとユダの失脚と彼らのその後の復活に関するエゼキエルの予言を含む旧約聖書
- エルサレムの破壊を予兆したミカの予言を語る旧約聖書
- 人生における突然の転機(エルサレムからダマスカスまでのクリスチャンの逮捕の路上での使徒パウロの突然の転向と似ている)
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