モリスコの到来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/19 02:47 UTC 版)
1609年、スペインはフェリペ3世のもとでモリスコ追放令を出した。これを受けて17世紀初期、西スペインのオルナチョスから3000人の裕福なモリスコがサレに到来した。その後からも1万人の食い詰めたモリスコがやってきた 。文化や言語を異にするモリスコ難民と原住民の間に軋轢が生じたため、モリスコは川の対岸のラバト(現在の旧市街にあたる)に移った。 モリスコ難民によって組織された海賊は地中海や大西洋に展開し、スペインなどキリスト教国の船を襲った。1624年、オランダ人海賊のヤン・ヤンスゾーン(ムラト・レイス)が「大提督」の称号を得て、サレ・ラバトの統領となった。ただしこの頃のサレ・ラバトはまだマラケシュ・サアド朝のスルタンムーラーイ・ズィダン・アブー・マーリに従属していた。
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