サレ共和国とは? わかりやすく解説

サレ共和国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/02 08:20 UTC 版)

サレ共和国
ブー・レグレグ共和国
República de Salé
República de las Dos Orillas
1624年ごろ–1668年


国旗

Saléの位置
サレ共和国当時のラバト・サレ
首都 サレ
言語 スペイン語アラビア語およびスペイン語を元としたリングア・フランカ[1][2]
政府 コルセア海賊共和国
大統領
 •  1624年ごろ – 1635年ごろ ヤン・ヤンスゾーン
歴史
 •  創立 1624年ごろ
 •  解体 1668年
人口
 •  年推定 20,000[3][4]

サレ共和国 (スペイン語: República de Salé, アラビア語: جمهورية بورقراق)もしくはブー・レグレグ共和国英語: Republic of Bouregreg)は、1624年ごろから1668年までブー・レグレグ川の河口(北東岸サレ、南西岸ラバト、ともに現モロッコ)に存在した都市国家。これを建国したのは、スペインから追放されてきたモリスコ共同体だった。彼らはバルバリアにおける奴隷貿易や海賊に従事した[5]

歴史

ブー・レグレグ川の対岸ラバトから見たサレの旧港。

モリスコの到来

1609年、スペインはフェリペ3世のもとでモリスコ追放令を出した。これを受けて17世紀初期、西スペインのオルナチョスから3,000人の裕福なモリスコがサレに到来した[6]。その後からも1万人の食い詰めたモリスコがやってきた[7] 。文化や言語を異にするモリスコ難民と原住民の間に軋轢が生じたため、モリスコは川の対岸のラバト(現在の旧市街にあたる)に移った[8]

モリスコ難民によって組織された海賊は地中海大西洋に展開し、スペインなどキリスト教国の船を襲った[9]。1624年、オランダ人海賊のヤン・ヤンスゾーン(ムラト・レイス)が「大提督」の称号を得て、サレ・ラバトの統領となった[10]。ただし、このころのサレ・ラバトはまだマラケシュサアド朝スルタンムーラーイ・ズィダン・アブー・マーリに従属していた。

独立

1627年にヤンスゾーンがサレを離れると、残ったモリスコ海賊はスルタンへの従属と十分の一税を拒否した[11]。彼らは正式に共和国の建国を宣言し、12人から14人で構成される内閣ディワン(評議会)が構築された。そして、彼らが毎年5月に選出する総督と元帥が指導者となった。1627年から1630年まではディワンはオルナチョス人に支配されていたが、次第にアンダルシア人と総称される非オルナチョス系モリスコの数が増えるにつれて不満が高まっていた[12]。1630年に起きた凄惨な内紛ののち、カーイダ(将軍)はアンダルシア人が選出し、ディワンは定数を16人に固定した上で、アンダルシア人とオルナチョス人が8人ずつ選ぶ体制をとることで合意がなされた[13]

崩壊

1641年、北モロッコで急速に勢力を広げたディーラーイー教団が、サレ共和国に優位を認めさせた[14]。1660年代初頭になると共和国はディーラーイー教団絡みの内乱に巻き込まれ、これに付け込んだアラウィー朝のムーレイ・アッ=ラシードの侵攻を受け、共和国は独立を失った[15]

文化的影響

ダニエル・デフォーの作品ロビンソン・クルーソーでは、海賊の捕虜となり街で虜囚の身となっていた主人公が「サレ川」の河口から船で脱出する場面がある[16]

脚注

  1. ^ Coindreau 2006, p.43-44
  2. ^ Barnaby Rogerson, « The Sallee Rovers », in travelintelligence.com
  3. ^ Leïla Maziane, « Salé au XVIIe siècle, terre d’asile morisque sur le littoral Atlantique marocain », in Cahiers de la Méditerranée, no 79, 2009
  4. ^ a b Maziane 2007, p.116
  5. ^ Saïd Mouline (August 2008). “Rabat, Salé – Holy Cities of the Two Banks”. In Salma K. Jayyusi. The City in the Islamic World, Volume 94/1 & 94/2. 1. Renata Holod, Attilio Petruccioli, Andre Raymond. BRILL. pp. 652–653. ISBN 90-04-16240-2. https://books.google.com/books?id=nY2DqJNPmioC&pg=PA652 
  6. ^ Coindreau 2006, p.42
  7. ^ Coindreau 2006, p.43
  8. ^ Leïla Maziane (2008) (French). Salé et ses corsaires, 1666-1727. Publication Univ Rouen Havre. pp. 69–70. ISBN 978-2-87775-832-1. https://books.google.com/books?id=yhuv9waKc_MC&pg=PA69 
  9. ^ « Rabat/Salé, la conquête pirate », in Le Monde, September 1st, 2009
  10. ^ "Murad Reis", Pirate Utopias, p. 97, Retrieved 30 September 2009.
  11. ^ Maziane 2007, p.59
  12. ^ Coindreau 2006, p.48
  13. ^ Coindreau 2006, p.44-45 & 49-50
  14. ^ "Class/social stratification in Islam", History and underdevelopment in Morocco, p. 43, Retrieved 30 September 2009.
  15. ^ Roger Coindreau, 2006, p. 53
  16. ^ "Robinson's Captivity at Sallee", The life and surprising adventures of Robinson Crusoe, p. 14, Retrieved 30 September 2009.

参考文献


サレ共和国

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ヤン・ヤンスゾーン」の記事における「サレ共和国」の解説

1619年サレバルバリア海賊たちは、スルタン支配受けない独立共和国「サレ共和国」の建国宣言した14人の海賊頭が政府組織しその中でヤンスゾーンは大統領および大提督選出された。とはいえサレの港は入口浅く狭いため、その海軍18程度小規模なのだったモロッコスルタンサレ包囲したが落とすことができず、サレの半自治認めた一般に1624年スルタンのジダン・アブー・マーリがサレ奪回してヤンスゾーンを長官任じたとされているが、これは誤りであり、実際にサレ大統領選出されたヤンスゾーンをスルタン承認し儀礼的に長官任命しただけである。 ヤンスゾーンの統治下のサレ商業的な繁栄謳歌した共和国収入の軸は海賊業と、そこでの戦利品用いた貿易だった。ヤンスゾーンはこの海賊の国でリーダーシップ発揮するのに十分な知性勇気持ち合わせていた。彼は同じネーデルラント人のマティス・ファン・ボステル・オーステルリンクを従者として雇い、後に自身の副提督とした。 ヤンスゾーンは海賊業や停泊領収入、略奪品貿易などで極めて裕福になった。しかしサレ政治情勢不安定になってきたため、ヤンスゾーンは1627年末までに密かに家族活動拠点アルジェリア移した

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