アナスタシア戦争とは? わかりやすく解説

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アナスタシア戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/19 06:26 UTC 版)

アナスタシア戦争(アナスタシアせんそう、: Anastasian War)は、東ローマ帝国サーサーン朝の間で502年から506年にかけて争われた戦争である。この戦争は、北方からの侵略に対するコーカサスの要塞の維持のためのサーサーン朝への補助金の支出を東ローマ帝国が拒んだことが主な原因となって発生した。これは440年以降における両国間の最初の主要な紛争であり、次の世紀にわたって続いた二つの帝国間の長期にわたる一連の破壊的な武力衝突の序章となった。


  1. ^ a b A. Shapur Shahbazi, (2005年), Encyclopædia Iranica, available online at SASANIAN DYNASTY, 2020年3月30日閲覧。
  2. ^ 2つの情報源は、テオドシオポリスの包囲中にコンスタンティヌスが果たした役割について矛盾した説明をしている。Zacharias Rhetor, (Greatrex 2002, p. 63) によれば、コンスタンティヌスは捕虜となった。一方、Joshua the Stylite, (Martindale 1980, p. 314) によれば、コンスタンティヌスは皇帝のアナスタシオス1世に対して恨みを抱いたため、ローマ人を裏切った。
  3. ^ Greatrex & Lieu 2002, p. 62.
  4. ^ Procopius. History of the Wars, I.7.1-2; Greatrex & Lieu 2002, p. 62.
  5. ^ Greatrex & Lieu 2002, p. 62.
  6. ^ Greatrex & Lieu 2002, p. 63.
  7. ^ A. Shapur Shahbazi, Erich Kettenhofen, John R. Perry, (2011年), Encyclopædia Iranica, VII/3, pp. 297-312, available online at DEPORTATIONS, 2020年3月30日閲覧。
  8. ^ Greatrex & Lieu 2002, pp. 69–71.
  9. ^ a b c Heather, P. J. (Peter J.) (2018). Rome resurgent : war and empire in the age of Justinian. New York, NY: Oxford University Press. ISBN 9780199362745. OCLC 1007044617 
  10. ^ a b Greatrex & Lieu 2002, p. 77.
  11. ^ Procopius. History of the Wars, I.9.24; Greatrex & Lieu 2002, p. 77.
  12. ^ Greatrex & Lieu 2002, p. 74.
  13. ^ Hughes, Ian (Historian) (2009). Belisarius : the last Roman general. Yardley, Pa.: Westholme. ISBN 9781594160851. OCLC 294885267. https://archive.org/details/belisariuslastro00ianh 


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アナスタシア戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 00:03 UTC 版)

カワード1世」の記事における「アナスタシア戦争」の解説

詳細は「アナスタシア戦争」を参照 サーサーン朝と東ローマ帝国は、440年両者短期間戦争東ローマ・サーサーン戦争 (440年))を最後に平和を保っていた。二つ帝国間における最後本格的な戦争は、シャープール2世在位309年 - 379年)の治世中におけるものであった。しかし、502年にはついに再び戦争起きることになった496年から498年(または499年)の治世中断影響によって財政破綻していたため、カワード1世東ローマ帝国に対して補助金支払い要請した東ローマ帝国以前より北方からの侵略対すコーカサス防衛維持するために、サーサーン朝対し資金援助行っていた。ペルシア人表向きはこれを自分たちに対して支払われるべき負債であるとみなしてた。しかし、東ローマ皇帝アナスタシウス1世在位491年 - 518年)は補助金支払い拒否しカワード1世力ずく補助金手に入れさせようとする動機与えた502年カワード1世エフタル兵士を含む軍隊とともに東ローマ帝国アルメニア英語版)に侵攻したカワード1世テオドシオポリス現在のエルズルム)を、おそらくは都市住民支援得て占領したいずれにせよ都市軍隊による援護受けておらず、要塞防御は弱いものであったその後カワード1世502年から503年の秋から冬にかけて要塞都市アミダ英語版)(現在のディヤルバクル)を包囲した。しかしアミダ攻略カワード1世想定していたよりもはるかに困難な目標であることが判明した防御側は軍隊による支援受けていなかったにかかわらず最終的に占領されるまでの三ヶ月の間ペルシア軍の攻撃退けたその後東ローマ帝国アミダ奪還しよう試みたものの失敗終わりカワード1世オスロエネ英語版)のエデッサ攻略には失敗した505年にはコーカサスからフン族によるアルメニアへの侵攻発生したために双方の間で停戦する運びとなり、東ローマ帝国コーカサス要塞維持のためにサーサーン朝補助金支払いアミダ東ローマ帝国返還されることになった和平条約カワード1世義兄弟であるアスパーフバド家の貴族バウィ(英語版)によって署名された。カワード1世東ローマ帝国との最初戦争決定的な勝者として終えたわけではなかったものの、アミダ征服は、同じ都市シャープール2世占領した359年以降におけるサーサーン朝軍が達成した最大軍事的成果であった

※この「アナスタシア戦争」の解説は、「カワード1世」の解説の一部です。
「アナスタシア戦争」を含む「カワード1世」の記事については、「カワード1世」の概要を参照ください。

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