イベリア戦争とは? わかりやすく解説

イベリア戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/29 16:57 UTC 版)

イベリア戦争(イベリアせんそう、: Iberian War)は、現在のジョージア東部に位置していたイベリア王国をめぐり、東ローマ帝国サーサーン朝の間で526年から532年にかけて行われた戦争である。戦争は当初サーサーン朝の優勢のうちに進んでいたものの、東ローマ帝国はダラとサタラにおける戦いで戦況を挽回した。サーサーン朝の王カワード1世の没後、双方の帝国は平和条約を締結した。


  1. ^ a b Barker 1966, p. 118
  2. ^ a b Greatrex & Lieu 2002, pp. 81–82.
  3. ^ Greatrex & Lieu 2002, p. 82.
  4. ^ Magill, Frank N. (2012) (英語). The Middle Ages: Dictionary of World Biography. Routledge. p. 560b. ISBN 9781136593130. https://books.google.com/books?id=aBHSc2hTfeUC&lpg=PA560&pg=PA560 
  5. ^ Greatrex & Lieu 2002, p. 84
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  7. ^ Greatrex & Lieu 2002, p. 83.
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  9. ^ Conor Whately, Battles and Generals: Combat, Culture, and Didacticism in Procopius, 2006, Netherlands, p.238
  10. ^ Greatrex & Lieu 2002, pp. 92–96.
  11. ^ a b Greatrex & Lieu 2002, p. 93.
  12. ^ Martindale 1992, p. 160.
  13. ^ Smith, Sidney (1954). “Events in Arabia in the 6th Century A. D.”. Bulletin of the School of Oriental and African Studies, University of London 16 (3): 425–468. doi:10.1017/S0041977X00086791. JSTOR 608617. 
  14. ^ Greatrex & Lieu 2002, pp. 96–97.


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イベリア戦争

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カワード1世」の記事における「イベリア戦争」の解説

詳細は「イベリア戦争」を参照 新し東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世在位527年 - 565年)が即位した一年後528年二つ大国間の敵意が再び戦争へ発展した。これはおそらく東ローマ帝国ホスローカワード1世後継者として認めなかったことが原因であると考えられている。ギリシア年代記作家のヨハネス・マララス(英語版によれば最初軍事衝突522年以来帝国の間で争われていたラジカ(英語版)で発生した。それから間もなく戦いメソポタミア方面へも広がり東ローマ帝国国境付近において大きな敗北喫した530年には東ローマ軍勝利終わったサタラの戦い英語版)と、サーサーン朝軍と東ローマ軍との間で行われた有名な野戦一つであるダラの戦い起こったペロゼス、ピトヤクセス、バレスマナス率いられサーサーン朝軍はダラの戦いにおいて惨敗喫した。しかしこの戦い戦争の終結もたらすには至らなかった。翌531年カワード1世軍隊編成し東ローマ帝国コンマゲネ州へ侵攻するために軍司令官のアザレテス(英語版)の下へ軍を派遣したベリサリウス指揮下にある東ローマ軍接近すると、アザレテスと配下の兵は東方退き、カリニクムで動き止めたその後のカリニクムの戦い英語版)において東ローマ軍手酷い敗北喫したものの、ペルシア軍の損失も非常に大きく、不満を抱いたカワード1世はアザレテスを解任した。 同年ペルシア軍はマルティロポリス(現在のシルヴァン英語版))を包囲した(マルティロポリス包囲戦英語版))。しかしながら包囲中にカワード1世は病に罹り9月13日死去したその結果都市包囲解かれカワード1世後継者であるホスロー1世ユスティニアヌス1世の間で和平永久平和条約英語版))が成立した

※この「イベリア戦争」の解説は、「カワード1世」の解説の一部です。
「イベリア戦争」を含む「カワード1世」の記事については、「カワード1世」の概要を参照ください。

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