イベリア半島制圧 〜再征服と統一〜
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「西ゴート王国」の記事における「イベリア半島制圧 〜再征服と統一〜」の解説
フランク王国、イベリア半島の先の征服王朝であるスエボス王国やユスティニアヌス1世の下で西方領土の回復を目指す東ローマ帝国としばしば争った。555年には東ローマ帝国が西ゴートの内乱に乗じてカルタゴ=ノヴァ、マラガ、コルドバなどを占領している。これ以後、東ローマ帝国のヘルメネギルドの乱(579年から584年)への関与、589年と597年に起きた東ローマ皇帝マウリキウスとの戦い(どちらの戦いも東ローマ帝国が領土を幾らか奪った)というようにカトリック改宗前後も戦乱が絶えることは無かった。レカレド1世の次々代ウィテリック、ウィテリックの後継者グンデマルも東ローマ帝国と交戦、グンデマルの後を継いだシセブトの時代にようやく東ローマ帝国に対して優勢となり、620年代にはスウィンティラ王の下、イベリア半島のほぼ全土を支配するに至った。但し、634年までアルガルヴェ地方(現在のポルトガルの最南端部)に東ローマ帝国の拠点が維持されていたとする史料も残っている為、634年以降、つまりスウィンティラ王から王位を簒奪したシセナンド王の時代以降に統一が完了したと見ることもできる。
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