イベリア半島におけるキリスト教文化の興隆
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この時代スペインではキリスト教文化においても大きな前進が見られた。具体的にはルネサンスの人文主義の成果が取り入れられ、先進的な神学校や大学などの教育機関がスペイン各地に設けられた。この時代のスペインのキリスト教アカデミズムを代表するのがメンドサ(英語版)とシスネーロスである。 メンドサは1492年のグラナダ攻略の際にスペインの首座大司教であり枢機卿であった人物で、宗教教育推進のためにキリスト教教育書を書いた。シスネーロスはアルカラ・デ・エナーレス大学を創設し、ここには当時の主要な神学、トマス派、スコトゥス派、唯名論などの講座が設けられ、ギリシア語・ヘブライ語も学ぶことができた。さらにここでは聖書原典の編纂事業が行われ、『コンプルトゥム多国語対訳聖書』が著された。これらスペインでのキリスト教文化の発展は、人文主義に対する一定の寛容をもたらし、とくにエラスムスの著作はこの地域で大変な人気を博し、よく読まれた。このことはのちの宗教改革において、この地域での宗教改革派の影響が軽微に止まる原因の一つともなった。 ポルトガルでは、1554年にイエズス会の手によって、エヴォラ大学が創設された。エヴォラ大学は、中世以来のコインブラ大学に対抗し、近代的な大学であったが、一方で科学の自由な知的探究を排し、講義はラテン語でおこなうなど現地語主義を抑圧した。 [先頭へ戻る]
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